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 ようやく、春を感じさせる花粉症の季節になりました。眼科の恒例目薬、パタノール 、フルメトロンの出番です。目の痒みは見事に収まりますが、鼻炎は残ります。

毎日の気温、気圧の変化をもたらされる不快感は、高レベルです。年度末の申請手続きなども加わり、非日常的な緊張によるストレスにも少々嫌気がさしています。

ところで、突然の麻痺足の変化を久々に感じています。麻痺足の膝が正常位置で屈伸を始め、沈みどころを力で食い止めているようです。ツッパリのまま膝が制御されないものだと、すっぽ抜けて転ぶことは相当のダメージだと想像できます。ところが制御の力で支えていることがわかったのです。この動きにつられて、かかとが正面側に痛みも少なく入ってきたようです。

その体制は、骨盤を安定させた位置で推移しているからで、麻痺側の下腹を力で締めることも可能です。この事は、もっと長距離に歩行できるかもしれない要素を含んでいると思いました。残念ながらこれだと思えるほどの感触で、連続的に再現するまでに至っていません。

歩くことに期待感があるのは、久しぶりのことです。スムーズに行かない日は、こむらがえりのむくんだ感じなどでよく原因がわかります。どうしても納得できなかった日々に、担当医からの半信半疑のアドバイスを思い出します。眠っている間に起きるこむら返りは麻痺体にはわからないと言うことです。あれほど痛みを伴うものなのに不思議です。

ところで、田舎の父の四十九日に一人で新幹線を利用して帰郷しました。行くときは在来線からの乗り継ぎまでは娘が、そして到着地からは車で姉夫婦が迎えに来てくれました。

往復乗車券に障害者割引が加わり、特急指定券は行きだけで購入し、帰りは自由席特急券で始発の席を姉に確保してもらいました。

注意点は、終点が目的地であれば理想ですが、タイマーでアラーム(バイブレーション)をセットします。驚いたことに、ほとんど眠った状態でした。私の場合、終点の車両を選んでいましたので、乗り過ごしに気を回さなくてすみました。体調で乗り過ごしの事態になることは十分あり得ます。健常体と違い注意が必要です。

良い席は通路側です。これによってトラブルを避けられますが、出口寄りの自由席は通路で混みあい、足を踏まれました。キップの検閲時、障害者であることを知らせ、緊急時誘導も忘れず依頼しました。

万が一、線路を歩行し避難を要請された場合、舗装具を装着しているのではしごの階段など転落する可能性も出てくるからです。

何はともあれ、計画は上手く消化したのですが、行きの手荷物を集荷で送ることが出来たことに安心し、失敗してしまいました。帰りは前日に荷造りし、滞在期間を計算に入れず引き出物にカビが生えてしまいました。残念です。14/03/27


雪がようやく降らないとわかった頃には 、体は随分となまっていました。なぜなら 、歩行運動を根雪が妨げて、外出ができなくなっていたからです。

 今年に入ってインフルエンザを含めると、 約3週間缶詰になっていたことがわかります。しかし、雪が降るとお手上げ状態になるとおもっていましたが 、 意外にも新たな発見がありました。

 ちょうど雪の日、3ヶ月に1度の定期検診日が当たりました。薬がきれてしまう為、新雪の中バス停まで娘の肩を借りて行くことができました。自動車は危ないのであきらめました。タクシーの予約は全て断られました。かろうじて、コミュニティーバスが動いていたのです。

 このことがどのような意味をもつかは、少し説明を加えたいと思います。

感覚がまったく無い時期、麻痺足に体重をまかせることで、転倒の恐怖は多大なものでした。雪の上は体重を一足に預けることで麻痺足は滑りやすい杖のような役割です。どうして、雪の中を歩けたかというと新雪は意外と滑りにくく、こわばりのピリピリ感覚と麻痺足が杖の役割以上に体重を支えてくれたからです。特に感覚があることで恐怖心がそれほど多くなかったことに驚きました。

担当医の遅刻で、電車をはじめ多くの交通手段が使えなかったことが分かります。ちなみに、どのようにして病院に来られたのか聞かれましたが驚いたようです。しかし、濡れたすべり安いところでの補助は必要です。バスの中で席を譲ってくださいました方に心より感謝申し上げます14_02_25


父が亡くなりました。私の環境が大きく変わり始めています。右片麻痺障害報告の内容も見直しが必要になってきました。障害保険と介護保険との関わり方も、相談窓口の早い段階の「あきらめ」から変化が伺えます。

複雑な手続きの相談、代行、付き添いも、高齢化に伴い障害者との垣根も低い物に感じる兆しです。医療の進歩も目が離せなくなってきました。

現在、インフルエンザが猛威をふるい小回りの効く開業医の出入口に大人の列で溢れていたとの情報を耳にしました。おまけに、時間指定で出直してくれと言われ、くわしい予約も断られたそうです。

ソチオリンピック直前、雪が降る寒さですが、多くの人にはげましを頂き感謝です。ありがとうございます。心機一転もがきますので、見守ってください。14/02/04


インフルエンザの予防接種もむなしく、香港Aに感染。無防備な生活の幕開けとなってしまいましたが、リベンジです。現実の右片麻痺者の選択を見守ってください。

2014年の正月もありませんでした。アップできなかった内容をお伝えします。

2013暮れ〜:休みの日には、治療、診察、検査と健康を維持するために死にそうです。

笑い事でないのは、視症痛に似た痛み、こわばり、背骨の歪みなど、痛みを伴うものに変化しはじめているようです。

しかし、振り返るといくつかのトライで改善したこともあります。その中で、今年の中旬には首から来る利き腕の神経的な痛みを背筋運動によって克服できています。それから、3回目「手、指」の腱鞘炎を注射で治療後、行った対策です。コンピューターで使用するマウスの幾度かの交換と、指を固定するテーピングを湿布でカバーすることによって腫れが治まったことです。

それと、12月になってから唇が乾燥のため切れてしまいました。脳出血を発症したころを思い出します。長い間、悩まされ変形した唇の同じ場所です。その箇所は今でも感覚が特に戻りません。苦い教訓です。

何かなかったか思い出したのはビタミンEです。娘と同時に切れていたのでサプリメントを買って服用し、2日目で同じように治っていました。

体質が似ていて環境を共にすることで、欠乏しているものが分かる貴重な経験をしました。偶然と言われてしまうかもしれませんが、油断をすればすぐ切れてしまうしつこいものなので信憑性がありそうです。

さて、年内で退職する予定で残務処理を進めていましたが、終わりが近づくにつれ、どうなっていくものかと不安になります。自分が片麻痺になって再起し退職する。それからまた再起するなど考えられないことだからです。どれくらい難しいものなのかわかるからです。

好むと好まざるとに関わらず、父の終演が近づいて来る様子を知らせてくれるために姉が田舎から来て、事前に打ち合わせをすることになりました。

昨年と同時期なので、身内の終演に悲しんでいる暇はありません 。日本中、癌、高齢化の嵐が吹き荒れますが、障害者の垣根がないことは現実です。

大黒柱は健在です。と言いたいところですが、一時、仕事には区切りをつけないと迷惑をかけてしまう人たちができてしまいます。無視するわけにはいきません。あと少しで、10年目を迎えようとしていますが、残念に思ってくれる仲間とお別れです。

暮れの最終勤務日に危篤の知らせを受け電車のキャンセル待ちをし、妻の1周忌も兼ねた喪服姿で旅立ちました。

母が寒い時期の間、利用しているシェアハウスに娘と押し掛け、病院の父を見舞います。しばらく、息を吹き替えしアイコンタクトで会話をしました。危篤の時間がのびています。おかげで 何十年ぶりの会話を母、兄弟、友達ともすることができました。

新年を迎えても小康状態が続き、妻の一周忌と重なる日が近づきます。なれない環境で特別な時間をついやすと疲れが思いの外、蓄積されるのが分かります。

一時、帰宅することになりました。が、インフルエンザに感染していることがわかり、駅近い内科で受信し、1週間缶詰状態です。予防接種が効かなかった。

 

こんな幕開けですが、今年もよろしくお願い申し上げます。