22年目チャレンジ  
ホーム |


MEMO
・22_06_30
・22_04_01
・22_01_05
・21_9_06
・21_6_08
・21_3_10
・20_12_31
・20_09_28
・20_06_04
・20_01_01
・19_08_16
・19_04_28
・19_01_17
・18_11_21
・18_07_16
・18_05_06
・18_03_20
・18_01_28
・18_01_01
・17_10_20
・17_08_09
・17_06_09
・17_05_04
・17_03_18
・17_02_14
・17_01_14
・17_01_01
・16_12_05
・16_11_10
・16_10_20
・16_09_11
・16_08_03
・16_07_11
・投降依頼
・16_06_01
・16_05_03
・16_04_02
・16_03_03
・16_01_29
・16_01_08
・15_12_24
・15_11_29
・15_10_29
・15_09_21
・15_08_19
・15_07_26
・15_06_28
・15_05_28
・15_05_13
・15_04_15
・15_03_22
・15_02_25
・15_01_30
・14_12_29
・14_12_02
・14_11_02
・14_10_05
・14_09_11
・14_08_19
・14_08_03
・14_07_17
・14_06_21
・14_05_28
・14_05_01
・14_04_07


・22_06_30
 デイケアスタッフとマッサージメンバーが入れ替わりました。定年と代表拡張転換でそれぞれお世話になりました。
 事情が呑み込めている人が全体で増えた感じがして頼もしく感じます。
 自治体の変化で随分違う内容は同じ国とは思えない戸惑いがありますが、受け止めなければなりません。
 特に制度が変わったあくる年の手続きにも重度障害者の記載サンプルにない項目など確認が必要です。
 しかも前年と比較確認を申し出ないと返答されない担当者もあやふやだからです。書類確認が誰のものかが返信あればコンピューターで間違いを正せると思っているからで、間違いが出ても後期高齢の本人などにはわからないと思っている節があります。

 代理署名などで本人個人と会話しなくて済むし、一人暮らしでまともな書類が出ないと思われがちだからだと思われます。
 自立支援なども二の次で行われているため、たてまえ論が福祉のあり方を逆行させたもので覆いかぶされて行きます。 危うい時代の予兆そのものの影が見えます。
 新型コロナや海外の紛争の煽りで、需要がないものでも価格が予定よりも早く値上がっています。ネットの送料込みで抑えられた価格にますます人心が荒れます。

 表に立っている障がい者に風当たりが強く出ます。場所によりますが自立者に対して無差別に当たってきます。擁護してくださる方にも不快な思いをさせるしまつです。
 さて、梅雨前の気候も体力を取り戻すことに専念したいのですがやはり、昼夜の寒暖の差と雨、合間に熱中症が出たり真夏日を記録した地域もあります。いきなり、夏の経験に体がついて行かず全く出れないと言う1日を経験をしました。
 電力の制限もまことしやかに伝えてきます。4回目のワクチン接種もきこえてきましたし、気にかけなければならないことが多すぎます。

 私の夜と昼が反転して、以前の薬も再開ですが効果が出ません。
 随分長い間に飲み続けた薬も、新薬で1まとめの統合型をと勧められましたが、梅雨と猛暑の期間が早めに現れたら何もできなくなってしまことを恐れしばらくわ見合わせることにしました。

 心電図検査もコロナ接種後心不全者が死亡者数の異常増加に疑問を投げかけていることも見逃せません。
 気候の不安定な時期を迎えることが治療の不安材料を増幅させるからです。

 後期高齢扱い重度障害者の年齢区分は肉体の衰えを感じない本人の思考も謙虚に推移しなければ頑固爺さんでかたずけられる思い込みでしかありません。
治まっていたむくみ(浮腫)もまた出てきています。不眠の原因は否めませんが、以前麻痺足をクッションで高くすることで収まりました。今回も逃げられるかはわかりません。

 しかし、経験上歩行訓練がどの程度元のレベルで行えるかが回復のカギです。地域の安定とルーティングの確保がいち早く正常化するかが勝負です。

 もう一つ、異様に死者数がコロナ以降増えていることを指摘され始め心不全が原因としていわれています。一言で死因をかたずけることに高齢者は疑問を持たないわけがありません。知らせてこないのは不都合があるからでしょうが露骨です。
 医療大国は費用だけでしょうか。国民を貧困に押し込める理由があるようです。病気が一向に減っていないのは薬漬けの大金を目当ての存在がいるからだと思わないではいられません。 薬でお腹がいっぱいです。
 知らぬは庶民ばかりなり。高学者の勉学も、アルバイトで休学の支援策無策が現状のようです。人口減で日本が滅びると研究者が一人二人ではない論調が気になります。

 戦わずして日本が他国になる日が来るからです。 愛し合う家族が生きて行ける普通がこれほど難しい世界になってしまいました。
 グレイトリセットが末端に起こる恐ろしいをテロという殺し合いで行わせようとしています。食料が米に再確認される日も遠くないと思っているのは私だけでしょうか。生活保護で賄えない物価高で無料弁当に並ぶ姿が他人事でないことはわかります。

 障がい者は出向くこともできず餓死に名を連ねて終わるのかと思わせています。 日銀の大量の札束も借りても返せないことでみなし経済効果で疲弊しています。
 大手ボーナス4年越し10%増と選挙直前発表がされました。消費税が上がり、物価が上がっても子育てに立ち向かえる若者が増えることは期待できません。

 経済を考えずに子づくりをすることは知能の高い教育と正反対の生活が待っているからです。
 支援策も言われても取り消されたものが多くて、当てにできない状態です。後で、変更されてしょぼくなる、又は夢でも見ていたのかと自問自答です。 自殺者も増えていることを隠し続ける社会は経験のない自立支援を目標に終えなかったことです。

役目を終えて世界がどのように推移するか一、後期高齢者、特別障害はノーマライゼーションを行える時まで筆を置きたいと思います。
 長い間のご支援に感謝します。ありがとうございました。

追伸: まだ、6月です。梅雨が2週間で抜けました。内陸で40℃超え。記録更新の異常です。クーラのない生活は呼吸困難熱中症の恐怖を味わいます。4回目のワクチンの案内です。20220629の記述前投票、マイナンバー手続き直後直後の有様です。 一人だけで終えました。
 水田の水不足で各農家の振り分けが足らないそうです。雨乞いとうそのような記録で例年と全く危機感の重さが違います。恐ろしい時代です。  
・22_04_01
 毎年のように外気温が8℃を下回る時に徐々に体調がおかしくなります。(麻痺体は個人差があり、21年の個人の経験上の傾向です)
 今年の異常は2022年1月15日あたりから始まりました。 雪の日と氷点下を数えることが深夜のたび現れたからです。
窓のシャッタ−を締め、空調で一定の温度(家電)そして、排尿で睡眠不足が起きる間に外温度センサ-で監視するパタ-ンでしのぎます。 徹夜になる場合もあります。
 日中、電動イスの往復を省き、40分位が最低所要時間でした。寒すぎる為の中断です。
 ルーティンが崩れて3年を超え、マイナス方向に作用しています。先が見えません。社会、天変地異、戦争など落ち着かない要素が多すぎるからです。新型コロナの感染を防ぐためにも人と接触を避ける事しか有効でないことも分かっています。
 一人で黙々とスケジュールを消化できることも条件です。が、天候不順で最低時間が足りない事が明白でストレスになっています。アクションを起こすたびにトイレに行きたくなることが思い当たることです。
 32日を過ぎた頃、急に夜外の温度が1日だけ12℃と変わりました。初夏のような気温です。慌てました。夏も身動きできなくなると思ったからです。その後は低温域を繰り返しました。

 花粉の症状が出たり隠れたりで、4月になります。目頭がかゆいので、去年と同じような花粉症用眼鏡とマスク、ミストの スプレー だけを使用してます。オミクロンと花粉症が同居です。
 再び広島は1,000人を超え、「BA.1」から、その亜種である「BA.2」へ以降するようです。
 戦争をしている場合ではないだろうと地球はあきれています。
・22_01_05
 昨年、2021年も激動で通り過ぎ、記録をする暇さえ与えない日々が続いています。
 オミクロン第六派開始で始まりです。うんざりです。と、腐りかけていますが、そうはいきません。
 新薬でCK値異常上昇?で中止で様子見です。
 体の筋肉が溶け出し、力が入らない状態が出始めていたのでいよいよ来る時が来たと覚悟の準備を考えていました。
 ところが、歌の依頼が寒いクリスマスに入り、発声練習を開始。友達の協力により、無事終了。
 最低の荷物とボランティア補助一人で乗り越えた私にとって夢のようです。感謝します。
 ノーマライゼーションの普段の編成は故障者(高齢者編成+コロナガード)ハンデが多すぎます。
 復活のアナウンスはありますが、企画も不安定に悩まされていることに変わりありません。
 冬季オリンピックは春を呼ぶのでしょうか。貧困の差が深刻になっていることを忘れてほしくないと思う次第です。
・21_09_06
 2021年8月28日以降。ようやく長雨も無事に終え、電動イスの行動拡張を始められると思いますが、またしても自粛です。
 緊急事態宣言です。終了9月12日?に落ち着くのでしょうか。広島で暑さが戻り水害の復旧工事の為、裏道の車が夕方動きません。私が、遠回りします。
 当初の天気予報がずれて自宅近辺では集中豪雨は避けていたのではと思っていました。しかし、長引く雨量で耐えられなかったところは、無傷ではなかったようです。
 毎年のようにこのような災害は続くようです。

 度々の退避でリハビリは厳しくなって行きます。オリンピックも手伝って 歩行訓練の場所は若者のスケートボードの練習場となりました。大きな音で後ろを振り返ると着地に失敗して転ぶ光景をしょっちゅう見かけます。
  歩行訓練のルーティングも言わずと知れた練習時間はどんどん短くなっていきます。ベンチの遊戯のもの置きとして使用しない注意も無視の状態が続きます。転ばないように全神経を費やしている歩行練習はこのような環境では決して良くないことは言うまでもありません。
 ビックリする行為が、高齢者や障がい者の散歩誘導など、特に正しい姿勢を保って変形していく足取りを強制させるために平らな場所が求められます。
 自立できていたプロセスが崩れ始めているのです。34°超える暑さの中では長く続けることはできなくなっていきます。下半身が弱っていくことは全てにおいて気力が後退していきます。
 よく言われることに老化は足からくると言われますが、全くその通りで障害を持った矯正は数倍も早く劣化していくのがわかります。
 電動車椅子が行動範囲を広げてくれていることはありがたいことではありますが、消して運動量が増えているわけではありません。それよりは減っているということに気を付けなければいけません。
 3年前は辛くとも5倍以上の運動量を確保できていたと思うのですが今は夢のようです。眠りが浅く1日に何回かうたた寝をしているようです。
 東京オリパラもリアルタイムで観戦はできません。YouTube でハイライトの映像しか見えていないからです。
 やはりスポーツはエキサイトします。一生懸命戦っている姿はたとえ負けたとしても清々しいものです。
 気に入った映像は何度も見返しますオリンピックもパラリンピックも見境がありません。

 ありがとう。お疲れ様と心から感謝申し上げます。
・21_06_08
 日本の上昇の機運としてコロナは収束しているはずでした。私の身の上にも同じように最悪の状態が続きます。よくなるどころか悪い方向ばかりに進みました。
 花粉症、直後補装具新規申請作成で3か月 、費やしました。失った期間の約3倍が、以前の体力回復の目安です。
 モジベーションの低下は、経済的、年齢時期による複雑な事務処理(行政関連、保険etc)ワクチン接種の見込み不確定、基礎疾患の精密検査予定保留の延長。など、未定計画が続出です。
 しかも、22日早い梅雨入りも6月になっても降雨量を気にしなければ足止めです。生殺し状態は、定年後3年でボケる優秀な部下たちの話をしてくれた、会社経営の親友を思い出します。(先年、一級障がい他界)

 しかし、オリパラを国は何としても実現し予定を組み立てようとしています。2ヶ月はもう切ってします。
 65歳以上のワクチン接種は私たちのところにはアナウンスもできていません。予定は未定ということです。
 それよりも緊急状態であっても、病院でさえ受け付けてくれない可能性があります。 自宅待機で亡くなる方もいらっしゃいます。
 障がい者であることの恐ろしさは、何もアナウンスがないということで不安を増しています。 出歩けないことは、絶望的な経済活動に向かっています。精神的なダメージが肉体的にも現れるからです。
 ここで急に暑くなってきている気温が30°を軽く超えてきそうです。これを一番おそれています。

 もうこれ以上は暗い話題は避けたいものです。笑いが戻ってくるようにケセラケセラで今でこそ精神力が試されます。  必ず復帰できるということは 社会全体が努力を怠らない人々で成り立っていると信じています。
 私も予定がまたしても崩れましたが、生きている限りは 諦めるという言葉を戒めの言葉と思います。
・21_03_10
 ついに、強烈なかゆみ認識できる本番花粉の季節がやってきました。
 例年に無く、寒暖差が繰り返します。これに伴い、痒みが出たり引っ込んだりと珍しい過ごし方です。
 昨年は約10日間で花粉症が終わりましたので、防護メガネだけで済みました。しかし、今年は長期間を想定しなくてはなりません。
 花粉だけではありません。多くの計画にとどめを刺すような嫌な状況が見え隠れします。
 新型コロナの ワクチンを初めて日本でも開始されました。先進国の中でも遅いスタートになります。それだけではなくまだ一般に降りてくるには時間がかかりそうです。
 そして、広島県では PCR 検査を始めると言うことです。3月中にも新型コロナは終わりそうにありません。

 話題だけはそれだけではありません。10年前に起こった東北地震に続いてそれに近い大きな地震が同じような場所で起こりました。
 幸いにして被害は少なかったようです。油断はできません。災害のような内容について次々と襲われる日本列島 。
 ここに来て大事な役柄の人間が失言をしてしまいました 。 東京五輪の 灯火に差別意識を拭いきれない代表が世界中に日本のレベルをさらしました 。権力に怯える形がその後民主主義の根幹を揺らします。
 紆余曲折を経て一国の大臣が党派を離れて 東京オリパラの会長をやることになりました。そして国民には馴染みのない女性が大臣となりました。1000人余りのボランティアの人が辞退する話も出ています。
 膨大な予算をつぎ込んで人々に勇気を与えるものをドブに捨てることは誰も望みません 。犠牲者がたくさん出ることも望んでいるわけではありません 。しかし、スポーツの祭典が原点に立ち返った形で行われることは別の意味が見出せるかもしれません。辛い状況です。戦争が起きないよう願います。

 体調は昨年の状態から、じわじわと麻痺の肺活量も落し始めています。歩行練習も順調にいって いません。ペースが早くなっているのですが距離があまり伸びていません。
 その理由に、あまりに激しい寒暖の差がなかなか三寒四温にもなっていないのです。それに加えて、夜の気温が低 いことです。
 全ては薬物の調整の為、何度か利尿作用が働き、眠れないでそのまま作業を続けている生活 パターンです。
 いつのまにかそれが日常化して、日中に出歩くことが難しくなっています。 特に午前中の天候状態が寒いことで、気楽に活動できる体制になりません。
 非常に重要なペースを阻害してきます。とはいっても最善を尽くすために、不良箇所を一つでも取り戻せたらと思います。 メンタリティを整えるべく、コンピューターのアイテムを利用して頭と手を補う創作物に着手したいと思います。非常に持続力が続かないので一区切りつけるのも大変です。まもなく高 齢者に突入して可能な限り限界を遅らせたいと思います。
・20_12_31
 2020年令和2年12月31日大晦日です。中々、思うように書けない自分がいます。ただ思いついたままにとは行きません。
 失語症の訓練もピークを過ぎると落ちていくということを身をもって体験することになります。新型コロナウイルスの件で思うように回らなくなってしまった頭が、通常の人の中でも起こり始めているのです。睡眠不足だけでも大きな要因です。
 私の脳血管障害関連の症状に追加で不整脈が起こり始めたようです。定期検診で見つかりました。
 しかし、広島市の中心にある市民病院には行けません。つい最近、後日入院を言われた、同じぐらいの歳の方がなくなりました。
 極端な高齢とは思えない、とても丈夫そうな人が突然亡くなったのです。イギリス、南アフリカ変異ウイルスが日本でも現れ始めました。ワクチンでさえも危ない状態が現れそうです。
 そんな中、私事ではありますが、今年二月に奇跡のような孫の誕生がありました。家内を失って娘と孫を同時に失うことは危うい出産です。後日談で現在のノーマライゼーション、音楽活動等、即刻活動の中止になったと思います。1%未満の危険な出産が訪れるとは思いも寄らなかったのです。娘も骨折の後遺症がしばらく続くようですがネットで観察中です。
 さて、何度も中途半端で、終わってしまう報告文も我ながら信じられないと思って過ごしました。鍛え直しの体力も閉口した気持ちの重さがケセラセラとはいかない厳しい時代を感じます。
 全ての内容の中で通年的な社会的儀式もできません。例えば墓参りです。暑すぎて、お盆の時期を避けることになりましたし、年後半には近くで感染者が現れ、治るどころか、近くのお店でさえ遠慮しています。
 したがって、再度のオリパラも怪しくなってきましたし、安易に人々と会えません。 そこで、リハビリ生活ルートも怪しくなってきましたので、電動車椅子によってライフワークを形成し、レコーディング中心にシフトしていかなければなりません。
 これも本人の希望的推測ではありますが、決してあきらめるつもりはありません。
 支えてくださった皆様方の感謝申し上げます。ご好意に応えるべく、地道に励んでまいります。理解者である同級生も二人なくなりましたが、見守ってくれていることでしょう。
 ノーマライゼーションと言う、今の福祉の高み見を目指して役に立てるよう努力したいと思います。
先に医療崩壊を味わうかもしれませんが、「いつかはだれでも障がい者」は命と直結したものだとご理解頂ければ幸いです。
 
 追伸:田舎に帰って自動車の運転が報告できません。記録を中断したまま放っておきました。ところが、知らず知らずの間に閲覧者が増えてきています。
 より厳しい時代に生き残りをかけたチャレンジ精神を持った方が増えている事でしょう。通常の人にも理解者を得られる大切な時期だとも思います。
 ちなみに:急性リンパ腫の家内の運搬に雑菌を避けるため、新車を購入。亡くなった後で、娘の送迎に練習開始。カーナビなど自分で取付。工夫を凝らして運転を始めた者です。
 今現在は、広島で電動椅子をレポート中。まだまだ役割がありそうなので、1日でも長く活動できることを願っています。ネバーギブアップです。
・20_06_04
 2020年1月16日、日本に帰国した神奈川県在住の30代の男性から新型ウイルスが最初に 伝えられています。
 東京オリパラ延期になりました。 特別事態宣言が国主体になり、 新型ウィルス感染症についてのことです。2019年3月26日の 日本での初めてのことでした。
 自分のできることを探し実行していましたが、その頃から人との接近などを自重すること等も言われるようになりました。
 そうこうしているすでに4月を超えています。
 その間に6月の予定コンサートを延期することに決めました。杉の花粉症が2週間で終わりましたが、寒暖の差が大きいのでやっと落ち着いた 暖かさとは程遠い 毎日でした。
この頃、 電動車椅子による歩行訓練が モチベーションが上がるのに一役買っています。比較的午前中の雨が多く、寒い日がひきこもりの状態を助長しているので尚更です。
 マスクは欠かせません。それもコロナウイルスの風邪というよりは、感染すれば命に関わる脅しをかけられたような息苦しさです。
 そして、6月4日。広島では感染者0人となっています。暑苦しい夜です。
 東京、北九州は、感染者が増加しています。終わっていません。不安の中、マスクも支援金もようやく動き出しそうです。
 もうじき、夏なのに世界中に殺人インフルエンザがいます。
・20_01_01
(かえろう会から省いたところからの報告分)
 独り言…ここで、振り返ってみると、新曲レコーディングの後、大竹、古民家リトルティーポット、じゅげむ、まごころ半明原と可能な限りライブ形式の場にこだわりました。特にじゅげむは東京時代の旧友である春日氏がライブを 誘ってくれたものとなりました。

 これらのことはギターを演奏できない私が、ライブというもの再現できるかという不安からです。
 それと、天候不順の体力的問題です。正直言って大体のところはクリアできたのですが 、絶えず言われている安定剤の問題です。
 代替薬を試してみることは大きく作業に影響を与えます。 創作意欲や発声練習などの意欲がどんどん落ちて行き、電動車椅子 して平らな広場があるところに練習を確保しなければならなくなりました 。
 それだけではありません 。冬の痛みが現れる時期に歩行練習をしなければならないところで、麻痺体にむくみが出てしまいます 。
 実質的な リベンジということで、 これも音楽を遂行するためには必要なことです。世界のアスリートたちが 、苦しい思いをして戦っていくのです。私も何度か再チャレンジをしますが、今回は環境が変わったところで、寒さとむくみを伴にして戦わなければならないと思ってます 。
 ノーマライゼーションの実用性を、 理解してもらえる機会を得ながら人生を楽しみたいと思います 。 (戦争なんか冗談じゃないよ…かつて、日本を演説で助けてくれた人がいた)
・19_08_16
 日本高血圧学会「高血圧治療ガイドライン2014」より、この値が至る所で、ガイドラインとして現れました。長年注意していた数値が変わっていたのには驚きました。
 ところが、下記が、2019年改訂です。
・至適血圧:120/80mmHg未満→正常血圧:120/80mmHg未満
・正常血圧:120〜129/80〜84mmHg→正常高値血圧:120〜129/80mmHg未満
・正常高値血圧:130〜139/85〜89mmHg→高値血圧:130〜139/80〜89mmHg
「詳しい分類で個人差が重要です。年齢、疾患、等で血圧のとらえ方が変わります。測定観察を続けて変化を主治医と共有することをお勧めします。」
 この上記の案内は正しかったようです。 まだ血圧に余裕があると思った人たちが、1割患者が増えたとのことで残念な結果になったからです。  たとえば、水の中で背の辛うじて届く人に、溺れないから安全だと自然の波の配慮が無いガイドラインで溺れた。…2019改訂となりました。
 環境がより過酷になっていく時代に、体は正直な反応を示しています。無理が気かなくなれば、細道を踏み外すのもたやすい事です。まずは、自分のベーシックを知る覚悟では無いでしょうか。
 一度は障がい者とは言っても、目の前で障がい者になる人を見るのは辛い事です。
・19_04_28
 いよいよ、脳梗塞そして、脳出血のホームページのデータが崩れ始め止まらなくなりました。もうすでに役割を終えているようですが、そのまま保存して「かえろう会」に吸収させたいと思います。
 昨年の災害的気候で通常の予定で過ごせませんでした。運動量が早めに定着して行ければ良いのですが、体が言うことを利かなくなってくることでが今までにない苦しい状況です。
 活動できる時間も短くなり、体重を落とすこともむつかしいのです。浮腫みは治まってきましたが血圧材の増量分の中止で副作用が治まっています。異常気象でやむなく運動量が落ちただけでも最終局面を意識しなければなりません。
 屋内でリハビリができない以上、簡単には一定のリハビリの生活が送れません。腕の痛みも活動を上げていくことで又、現れます。従って、HPの記録としての保存は正解かもしれません。一向に前に進めない時期が長かったりしますので、まさに去年のような災害が身近に起きた時は、その次の年で立て直すことも至難の技なのです。一度、体重が増えたり減ったりで 食生活もコントロールが難しいからです 。
 施設の中で暮らすようになれば、 スケジュールが予定通りに含まれているので一見、健康的でとても居心地のいいものに見えます。
 ところが実際にはそうはいきません。例えば定年退職を迎えた方が1年を過ぎた頃から、認知症によく似たぼんやりとした生活になります。そして、3年目には確実に認知症になってしまうと言う、笑い話でない実話として存在します。
 外部と接触はないということは、長い間仕事をしていた方々には刺激がなさすぎるのです。当然一人り暮らしの人には、アルコール依存について真剣に考えてくれる場所はありません。気が付いてみたら、体のあちこちが病気になって現れます。

 私も4月の23日この頃には体が少しずつではありますが、動き始めています。大切なコンサートは無事に終わり7月の予定も入ってきました。
 全てにおいて夏までに体制が整うようやり続けるしかありません。去年、午前中は雨でお昼から行動するというパターンも、調子を悪くする存在でした。それは懸案の空き家の床下が落ちてしまう、恐ろしい状態が始まったのです。今年はそれだけは避けたいので、空き家にまめに通気の良い状態を作る必要があります。
 どれ一つとっても前例と照らし合わせることができるので、それ以上の災害が起こらない限り、元通りの体力開発まで行けるのではないかと思っています。  脳卒中の記録も治りきるということはありませんが、一定の期間休まなければ体はずっと動いているような気がしていました。ただ、それは辞めてしまったら元に戻せないというぐらいに痛めつけられます。それらは、体調にも表せ体格にも現れ、もちろん精神的にも悪い時の倍ぐらいは、足を引っ張るようになってしまうようです。
 こうして考えてみると、施設に入ることとノーマライゼーションを目指して好きな音楽活動しているのとでは、明らかに健康状態が違うことが分かります。練習を行った場合体は、答えをちゃんと出して現実にできるからです。
 記録することも、タイミングを逃してしまうとボツにしてしまいます。なぜならば毎日変化した内容が、同じパターン生活の中でいると繰り返しに感じてしまいスポイルしてしまう癖がついてしまいます。そして大前提の話も必要な事柄であることを含んでいることは間違いないのです。が、飛んでしまいます。
 例えば、この寒さの冬も新しい環境で生活が変わりました。冷暖房の扱いがネックになるということです。去年は寒くて厚手のカーペットを引いていましたが、もちろんシャッターを下ろす明け方になると、なかなかシャッターを上げるチャンスもなくなって、行き場のない模索の日々です。
 それが、今年になって冷暖房ファンだけで過ごせるようになりました。体調の方は、昨年よりは吐き気などの実際の症状があまり出なくて助かりました。それと血圧の記録の中に、外気と室温とともに時刻を書き出しました。これはセンサー式のコードを屋外温度で測ったことです。不思議なことに明け方過ぎた辺りから、この場所では気温が最低になります。それがしばらく続きます。
 このあたりの雪は、今年は一度しか降りませんでした。ちょうどレコーディングの日です。それ以外はシャッター下ろして23摂氏温度の設定で温度を調節しました。

 6万円ぐらいの安い夏場の空調をセールで手に入れました。期待は持っていませんでしたが重宝しています。何と言っても、今年はレコーディングは伸びて、4月にはライヴの厳しい時期までに制作を終えてしまわなければならないことでした。そのことで、4月にちょうど歌のレッスンスケジュールをこなせました。花粉が抜けた一週間後の事です。それ以前の3週間ぐらいは、鼻が詰まった状態で呼吸が苦しいままで発声練習を行いました。
 さて、このような経過を踏んでいますが、かろうじてこなせているので感謝に堪えないことは間違いありません。
 都会からゲスト出演の依頼で、著名人とライブをすることも決まりました。これからが麻痺後の実力を問われます。
 新しい形で挑もうとしているからです。どうか楽しい日を1日でも増やせるよう、頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
・19_01_17
 体調制限についやしています。その中でも腕が上がりにくく、最終作業過程のとちゅうです。正月は来ていません。すみませんが報告出来ないことをお許しください。
・18_11_21
 しばらくの間、報告が出来ませんでした。「脳梗塞、そして脳出血へ」と言うHPの役目は一般の働き盛りのサラリーマンが情報収集出来ないときにやむなく体験談として始めました。
 年齢的に主夫として働き盛りに同情の弁を医師の言葉でよく聞きました。重度の障がい者の中でも社会的な最低生活を強いられる認識が医療分野では理解されているからです。
 絶望の中でメールの問い合わせを多数頂きました。経済的に豊かだった世界が一夜にして崩れ去る人ほど悲しみ、苦しみが多いことは言うまでもありません。そんな中、福祉関連の在り方に束の間の光が射したのです。 私は幸運にも特例子会社の枠組みで家族を養い自立出来ました。しかし、行政に生かされ、又行政に阻まれ退職せざるを得ない状態で就労を終えました。
 本人でないと手続き出来ない相続、慣習の期限が田舎の往復等、体力的に仕事に差支える内容となってしまいました。その頃、支えて下さった方々に感謝しています。
 リハビリ中心で報告している内容も、失語症がHPの集中力の難所です。現在でも体のコントロールで環境の変化、気候、薬物などの大敵に阻まれています。 それに加え、社会的な不安材料を背負っている事は、自立支援のプランニングでもスケジュールを把握できない状態になっています。 したがって、介護に関してのプランニングが就労・自立支援を個人に即したものになりにくいのが現状です。 幸にして、田舎の生活移行、理学療法士の先生が重度障害、長期生存者の観察を行って頂けています。
 以前から、最終的にどのような経過をして生存を追えるのか、可能な限り報告します。報告出来ない間が増えましたが、決してあきらめないで、幸せなときは続いています。

 さて、天候不順もさることながら、腱鞘炎を気遣ってのことでしたが、半年をめどの混濁剤が3ヶ月半で痛みが腕、肩なども夏最初の再発の痛みです。しかし、理学療法の先生に四十肩、五十肩、の傷みが出ていると言われ、六十をこえたので、60肩ですかと冗談をいっています。 運動不足で足のむくみを気にしていますが、補装具に収まらなくなっています。血圧の安定も日中の値が高いため、薬の増量を始めました。 MRIで首の血管の変化が現れたためCTスキャンの予約日待ちです。
 歌い込みも寒さのスピード接近に負けてしまわないか心配です。声帯の片方の制御が難しいため、歌い込みの喉の広がりが持続できそうにないからです。 モジベーションの大半が体力不足、もしくは、病状が潜んでいる危険性の不安です。 たとえば、バネ指の腱鞘炎の混濁剤を注射しで、6ヶ月すぎればおおむね次の混濁剤で逃げていけるようですが、今度は応急処置も利かなくなってしまう可能性があります。 片手だけの生活も、コンピューターを控えての暮らしぶりもフェードアウトを覚悟しなくてはなりません。
 次に、住めなくなった実家のかび臭い部屋で勉強材料を持ち込んでの一人合宿です。 宮島が対岸で見下ろせる段々畑も、瀬戸内なではの見所ですが残念です。 今年の影響がおよぶ台風も去って、約三週間は、二泊三日で自宅の空き家に風を通しにかよいました。残念なことですが床が湿気で崩れそうになっていたのです。容易に里にこれなかったのが敗因です。
雑草がこれも又、容易に人を寄り付けさせません。秋が直ぐに暮れの様相に転じ始めて感じ始めたのですが、落胆しているわけにはいきません。
 作曲の機材を持ち込み、一部屋以外は、開けっぱなしで夜中も湿気を逃がしました。 カビ臭さは拷問の様子です。
 空き家新法の過疎化の集落は一筋縄ではいかない負の財産だからです。代々逃げられない法律が、財産放棄しても建物に関する責任問題がついて回る二重の構造に現れているのです。
 接した土地の地権者が代わり、道を無くした土地は悲惨です。住めない家で、住民税を収めて通り、解決方法も市役所に幾度も足を運びますが虚しいばかりです。市街化調整区域がネックですが、現在の住民の方は土地の値上がりに怯えて簡単には口を開けません。通勤バスがなくなり、タクシー券も支給されない、住老人には酷な段々畑です。複数ある養老施設の入居者関係だけで1500人以上待機している養老の村です。
 今年は、大雪になりそうだという噂がちらほら聞こえています。
瀬戸内は降っても溶けるのが早いので雪にはさほど苦労しないはずでが、思い過ごしであってほしい 災害がちらつきます。しかし、県北から、山陰では他人事にならないことを知っています。水害の爪痕はまだ完全には復救していない現状です。心配事は尽きませんが、懸命に生きていれば解決策が出てくることを期待します。
・18_07_16
 2018年4月、5月、6月と40年あまりを経たロックミュージシャンのクラブ中心メンバーと後輩でリハーサルを行いました。
 70才に近い当時の中心人物だけでほとんどチケットも地元で早々と売れ切れです。
 そして、現役のプロ仲間たちが迫力のある後半を押さえてくれ、見ごたえも上場だったことに感謝します。
 7月1日に無事にやりとげられたことはとても幸せなことでした。
 が、その後日、直ぐに台風の通過、被害も少なくホットした矢先、雨が全く止まない異常事態に突入しました。 特に、広島はいたるところで大被害にあいます。
 いまだ、復旧作業が猛暑の中でボランティアを含め懸命に行われています。熱中症で無くなる人も報道されています。日本の広範囲で被害は出ています。これ以上の集中豪雨が起きないことを祈ります。

 幸にして、私たちのところは今のところ無事です。そんな中、私は兼ねてからの健常手の中高指、小指の腱鞘炎の原因を突き詰めるため、広島市内の著名な整形外科医に診断してもらう予定です。
 バネ指から、小指の筋の外側から肩、脇の下へと痛みが走るものです。 約半年になっても続いているので、過去幾度と経験しているバネ指のテーピング、注射で逃げは無理そうです。脳下の主治医の推奨で紹介状を頂いています。
 レコーディングが控えているので入院だけは避けたいと思います。全くの、だるまさんの状態になると一人では生活できなくなることは何としても避けたいと思います。
 しかし、前向きな人たちに励まされて、新曲を待ってくれている人がいます。報告が中々できませんが、以前より声の抜けが良くなっていると指摘してくださる方、自分たちでアレンジをして活動している方々。感謝の耐えません。ありがとうございます。毎週岩国に一人でリハーサルに出かけたことは、忘れるこは無いと思います。
・18_05_06
 アレルギーの薬を約一か月服用しました。思ったように薬が効きませんでした。 周りにも同じような意見を言う人が多かったのは確かです。
 私はこの薬の使用の最後の時期にひどいめまいに襲われました。 椅子に腰掛けていても座っていられないぐらいのひどいものでした。
 それから一週間後に外出した寒い日曜日でした。思うように体が動かせずやはり同じようにめまいが起こりました。
 吐き気止めとめまい止めを処方してもらい担当医に点滴治療をしてもらいました。
 その後アレルギーの薬が服用されることなく済んだのでこのめまいも徐々になくなりました。 天候不順もありましたが発声練習ができるまでに回復しました。
 この件につき安定剤のデパス錠 を強いアレルギーの薬と共に抜くことを試みました。
 約3週間ほど強いこわばりの時期まで抜くことが可能でした。乱用薬物として注意を与える事と、禁止薬物として使用禁止を迫る強迫観念は麻痺者にとっての不安材料にしかなっていないようです。
 症候性てんかんらしい副作用も現れることなく、中止薬としてのデパスが軽い使用については根拠が疑わしいと思われました。
 その後の白内障の検査、皮膚科のおでき、但しバネ指及び腱鞘炎は手術を言い渡される可能性があるのでコンサートが終わるまで可能な限りがまんするつもりです。都市部で要注意扱いでも、地方では初期段階で通院不要扱いは面白い傾向です。地方行政の特色が生活環境で違うことを日本国民一様でない事が実感させられます。
・18_03_20
 昨年の暮れから問題続きです。今は花粉症です。
 おととしの冬に比べて、全てにおいて問題だらけです。 ひとつひとつが重症であること、特にこの時期は鼻水はもとより、目の痒さが非常に長いことです。しかも、ばね指が中高指と小指に現れて一つ一つの動作が痛みを伴って遅くなっているからです。
 何と言ってもこれらの症状が苦痛を帯びています。ただ我慢するしか今は方法がありません。花粉症のメガネをセブンイレブンに飛び込んで買ってしまうくらい、藁をもすがる思いです。
 しかし、この時期に行動を起こさないわけにはいきません。目標を立てた内容が、早い準備を起こさないと、満足がいかないものであることは間違いありません。昨年の段階で多くの人に応援をいただき、今年はそれに引き続きオールデェーズの仲間たちが動き始めてくれています。発声練習です、7月1日にコンサートは決まり、4月の後半に新曲のレコーディングを予定しています。曲の内容について真剣に取り組むために体調が昨年以上に ハードなものになると思っています。
 考え方よりも、今がどのような体調なのか考える必要がありました。それは1ヶ月で落とした体力は、回復するまでには3倍のリハビリが必要と、発病した当時のことが思わせるからです。今年は毎週気温が低くく、しかも午前中が雪は少なかったのですが、氷点下の状態が繰り返されたということです。
 約4週間このような状態で歩行練習が出来なくなったのでますます限界に近づきました。 家に閉じこもって午前中は体が動かず、安静にしているような状態でした 。これらの状況が寒さという観点から、逃れ始めたとき花粉が襲来です。
 この地域では、お日様が回復しても風がとても冷たいことで体調の変化を狂わせます。そこで従来の状況が歩行バランスに反映するまでに、バランスが非常に悪かったことです。この原因が一度失った体力を元に戻すために、必要な状態になっていないことが分かってきました。
 椅子を使った日常的な動作が、時間をずらすだけで必要な歩行練習になっていないと分かります。寝たきりは足元からやってくるとよく言われますが、このことを思い知らされます。麻痺足の筋力が落ちていることが、歩行の時重心を支えることができない、非常に疲れるものに変わっています。
 それに比べ圧倒的に薬の種類と量が多種に渡っています。昨年は喉がれと言う状態で、レコーディングを妨げました。しかし、今年は一か月ずらしていますので、花粉症も発声練習も克服できるものとして堪えています。この耐えるということは、一番辛い内容を含んでいます。精神的なダメージも訓練を開始する前に足を引っ張るからです。
 簡単に言えば意識の後退が激しいのです。
 行動を起こす前に自分自身に暗示をかけなければなりません。感情を捨てて、一歩を踏み出すことが行動のもとになるからです。
 何ぶんにも、忍耐は続きます。
・18_01_28
 新年を迎えたというのに 寒い体調の悪い日が一週間続きました。それを縫うように新曲を創作のため仮録音しました。声帯が萎縮して音程を確認するに留まりました。
 ようやく歩き始めて、順調に歩行能力も高めようと思ったのですが、予定通り行かず今週もとてつもない寒い日があらわれそうです。
 この週、1月の中旬は友達の励ます会に出席しなければなりません。高校時代の親友です。その彼が1年前に手紙をくれていました。とても丁寧な文面で少々戸惑いました。それがその後に大病を克服しているとは思いもよらなかったのです。
当然、数名の友達とも会います。一期一会ということは、私にとっては非常に重い内容を持ったものです 。前を見て突っ走るだけで振り返ることが今の私には難しいからです。
 体にガタがくる年齢も、我々の世代では重症者が出るのは予測がつきます 。従って、当日外気温が氷点下を 経験しなければならないようです。片麻痺者にとって出歩くことが厳しい状態になりそうです 。
 去年とは違い、とても寒い状態を経験しなければならないということが、想像できなかったのです。約1か月を超えて、中々、家を出ることができません。特に午前中天候が定まらないので、午後の暖かい 時間帯を狙って歩行練習をします 。これが午後のリハビリと重なって、思い切った自主練習ができないことが難点でだったのです 。出かけることを迷っている間に、夕方になってしまいます。開放感も感じないままマッサージを念入りにしていただくことで依存度が増します。
 これはとても幸せなことですが、基本的なところが運動不足になってしまう現況です。体が動くということは、生活レベルを支える一番大事なことであることは間違いありません。出来れば歩行練習などで、歩行のレベルの高いレッスンをしたいのですが、それも暖かい時期でないと可能になりません。とても残念です 。他の力を借りて運動させても、個人が自らの力で動かした筋肉が重要なのは言うまでもありません。柔軟性と運動が同時に意識的に行われるからです 。
 またしても、今回も外気温が7度下回る時、病人と同じ状態が現れます。 麻痺の程度によっては、この外気温がどのように体に影響を与えているか、知りたいところです。他と比べることができません。是非 意識されてる方がありましたら、教えていただけたらと思います。 当然、床暖房、電気ストーブ、シャッター 、マスク、ネックウォーマーなど重装備でいることは言うまでもありません。そのように注意を払っても、 病院などのようなセントラルヒーティングは一般家庭では望めません。とはいっても、一年を通じて1月前後が対象となることなので、我慢しています。解決策はありませんというよりは、できません。
 そして、これは終わっても次に来るのは花粉です 。18年目の突破口が現れてほしいものです。しかし、これらの内容も理学療法士の先生と一緒に実態がどのようなものであるか観察をしていただいていることが励みです。

 年明け1回目(異常低温気温)
 昨年の12月に小編成のコンサートをすることができました。後で考えてみれば、ギリギリの体調のコントロールが可能だったようです。
 天候が昨年と大幅に違い、私の感覚で行くならば、約1月早く 病的な状態が始まっていました。しかも、歩行練習をしようとすると非常に不都合な雨が午前中よく降ったのです。そのおかげで、午後に出かけるはめになったのです。
 このことは訪問介護のマッサージのスケジュールに間に合わせるために、歩行練習を急いで切り上げなければなりませんでした。
 このようにして、年が明けても特別に朝の気温が下がっていき、成人式の後にはとても口では言い表せない低温気候が待っていました。この地域は特別冬が寒いと言うことは分かっていましたが、一昨年経験した内容で 早いうちに環境を整えたつもりです。しかし、レベルが違いました。
 窓のシャッターも閉めて床暖房を入れ、電気ストーブもつけた状態で臨みました。明け方、家の内アルミサッシの窓枠フレームでの測定温度が2.2°室温9度と一度トイレに立つと眠れない状態になりました。そのため、4日連続で朝食を取ることができませんでした 。そして、最大の一昨年と違う弱点は、ばね指が中指に現れていたことです。到底考えられないことですが、あらゆるしわ寄せが利き腕に出てきたということです。
 治る気配が感じられません。着替えが難点で、両手が利かないと介護を要請することになります。応急処置のテーピングや、極力指を動かさないように4本の指で日常的な行動をすることにしています 。血圧も少し上昇しています。午前中は食事を取らずに嚥下障害を最大限避けています。
 この理由はカップや箸がうまく持てなくて 着替え、トイレをするところから非常に時間がかかってしまうのでこわばりを誘発してしまうのです。
 さて、この時期に社会情勢は非常に不安定で 精神的肉体的にも決して良い状態ではありません。安定剤も極力減らすために行動を差しひかえるようになりました。ようやく少しずつ外気温が上昇すると考えられますので動けることを期待しています。 なぜならば新曲の曲想はオケの状態まで作ることができました。もちろん練習のためのものですので40% のものです。全体が見えるまで行動にすべてを 託しています。
 もちろん、これには17年かかった曲も 脳裏に浮かんでいますので集中力が欠かせません。昨年のたくさんの協力者の方々に心より感謝申し上げます。
・18_01_01
 最終ライブを終えて以降、去年の振り返りと思っています。
 案の定、雪が舞初めの気温が病的な麻痺体を待ち受けていました。一月は早く、秋の来ない寒い朝が来たのです。 3日連続で小雨混じり歩行練習を体力回復を理由に怠りました。過去の自分の戒めが実証され始めました。
 思うように、歩けなくなってしまったのです。部屋の中の行動に車椅子を使用するような考えが起こっていたからです。

 早急にあくる日から、午後のわずかな時間でもと歩きました。麻痺足が新しい靴のせいでバランスを崩したこともマイナス要因で終局をイメージしています。靴が決して個人の完成されたものになっていないのです。特に今回装具の靴内足移動がおこり、足首が全体にぶれを誘発していたのです。
 それと、利き腕の中指にばね指が始まっていたのですが、応急処置で年を越しています。
 ところで、理学療法師の先生に今年の発展的な活動を好評価で指摘していただきました。思いもよらないものでした。 特に今年の前半にレコーディング、コンサートなどから、12月入ってのライブまで、コンサート見学、発声、ハーブハーモニカの練習など順当に出来ていたことです。

 低温やけどに半年あまり費やした昨年の暮れを思えば贅沢な話です。
 落ち着いた状態で、創作が出きるまで、しばらくは、苦しむでしょうが、なんとかマイペースに持ち込めることを目標としたいものです。

今年も、体調に振り回されない事を願いたいものです。
・17_10_20
 夏が駆け抜けて行ったようです。しかし、体調が良い日は特別多いようには思えません。
 安定剤がもとのデパスベースに戻ったくらいで、少しの寒気がこわばりを起こして通るパターンです。回数は気候が比較的暖かいので徐々に落ち着きを保っています。と、言ってものんびりとは決して言えたものではありません。
 コンサートが予定道理終わることが出来ました。残念なのは間違う歌詞が出てしまいました。 天候不順が練習のタイミングを狂わせて、パターンを作り出すことが中々出来ない状態だったのに加えて、活動そのものに危機が起こったからです。交通事故で足が奪われる事態に遭遇していたため対処に苦慮していたのです。おまけに、HPの書き換えも、コンピュータ故障で集中力を落としていました。
 しかし、危機を辛うじてのがれ、反省のもとで過ごしています。すでに体力勝負の状態を維持していますが、冬の強敵がどのように活動を阻むかわかりません。
 創作の作業パターンに早々に戻して行かないとまとまりの着かない徒労に終わろうしています。
 そこで、昨年の冬の部屋シフトを取りました。一日の寒暖の差のよる悪体調に振り回されたくない思ったからです。果たして十分に機能するかは分かりませんが、12月にミニコンサートを計画していまです。
 いろんなシーンで友人に手を借り、活動できたの事には感謝に耐えません。気がつけば、より多くの人がノーマライゼイションを意識して頂けると感じます。
 そして、有難いことに、日常の変化を見守ってくれている人たちが指摘してくれました。本人は、加速を増す時間が健常体のように錯覚し、いらだちに変わっていたのです。それらは、通常に暮らすことだけでは得られない事だと教えてくれます。
 特にビデオの映像は本人が思うほど障がいは軽く無いと、外見上写って見えます。医療従事者は、多くの困難な症状を知っていますのでなおさらです。
 しかし、何かやらなければと思う人の刺激にはなっているようです。「それ程、人生は長くない」と年齢の感じ方をし始める人達です。そして、やりたいことをやってこなかった人はなおさらです。
 当然、やってもやらなくても、一生は一生です。しかし、この言葉には、別の恐ろしい意味を実行させる力を持ち合わせます。 投げやりの行動です。
 障がい者を一くくりにして、ヘイト (憎悪、差別等)が増長すると対象にないところまで影響を受けてしまいます。日常に存在しているものは協調で乗りきれますが、隔離された所は集団でヘイトせれてしまいます。無差別とこの特定の集団に向ける暴力は意味が違います。犯罪は集団の立場と個人的立場の言い分を混同してはいけないと思います。
 そうしなければ、いずれの人も障がいを持った時点で人間として不要と言うことになり、ヘイトを受けることになります。そこで、個人の不都合は全体の言い訳に利用しないのが懸命な判断だと思うからです。そして、いつでも受け手に回る可能が現れ、立場が逆転するのです。
 自国で真の民主主義を育てていないことが、大きな敗因となっているようです。第二次世界対戦で日本が敗戦、北朝鮮が福祉の道まで多くの犠牲を出そうとしている現在、奪い合うことより分かち合う道を年配者は行動で示さなければなりません。
 小さな子供たちは、障害が珍しくしばらく見ていますが、そのうち、なれてきます。大人たちも同じです。障がい者は町に出て、当たり前に生活する姿を見せる必要があります。もちろん強度の危険人物は別です。ノーマライゼーションを実践してくれる人達は、基本的人権を理解している人であろうと信じます。それは、財政破綻が懸念される中、生きる知恵を与えてくれるはずです。草の根から始まるものは、時代に生き延びます。テロ社会が続かないことを歴史は物語っているからです。
・17_08_09
 暑さが現れて、しっかり汗をかき始めたことには安心感をおぼえます。しかしながら、炎天下を歩行しても、玉の汗をかく連続感があまりありません。ベルトが最低の穴より、自分であけた穴もゆるくなりました。
 歩行練習も母の認知症が進行するに従い、少なくせざる終えません。
この状態でも近隣の方には知ってもらえることはできます。しかし、日常の活動変化は少しのことでも増えると、たとえ自分の事でなくても一日は大きなダメージとして現れます。
 変化のある予定は、天候が大きな要因となります。付随して、小回りの利かない事にショルダーバッグの容量にも原因があります。
 公の書類がいる可能性で動く時にもサイズの異なったもので調整します。したがって、最低限、最小のバランスを保持するために、神経をすり減らします。血圧降下剤や、安定剤を使うと、目覚めた後に眠気を誘っているようで、意識の低下を下痢、吐き気などがある場合にも同じです。
 発想優先でとりあえずの行動では、携帯を忘れてしまう、飲み物を忘れてしまうなど足を引っ張る事がよく起こります。まとめの注意力は自身喪失につながりますので要注意です。
 担当医の処方に一貫性を見いだせない対応がある場合に、体調に変調が起きていることが自己判断しずらいものになってしまいます。まさに足踏み状態が起きていました。
 これに対して、身近に理学療法士の方の分析も私のものとよく似ています。受けているサービスが相手の目的に沿って思考されたものなら、共通の答えが疑問として浮かぶからです。
 訪問介護とノーマライゼイションの結びつきは、表面上の医療では成しえない重要な内容を含んでいることです。
 ノーマライゼイションは「等生化・福祉環境作り」と言う「言い換え語」が現れ「等しく生きる社会の実現」と人権運動と変わらないスローガンになりました。使うに使われない専門色を与えていますが、かつて日本の家族制度が育み、いたわりの社会が出来上がっていたことが世界で評価されていました。
 最近、地域の在宅サービスが孤立化する障がい者にも日を与えていくようです。人との個性が出合い、刺激となるからこそ必要なものだけを選べるのです。薬の乱用など陰に隠れた社会が浮き彫りにされ、閉じこもりを作る構造を変えるチャンスが秘められていると思うのです。
 ところで、人間の最も優れた能力は、思いやりの能力だと言われています。核戦争が現実味をましていますが、この能力が低い代表たちが核を操れる立場にいます。住めなくなる地球は、一時の生存者で決定できるものでないことを肝に銘じて欲しいものです。
・17_06_09
 コンサートが終わって、少しずつ落ち着きを取りもどしています。
 短い日時で沢山の準備をこなすことが出来ました。現役のプロが活動してくれたことが幸いしています。 35年ぶりの田舎での入りで、旧友と会えたことは色々な観点から励みになりました。ありがとう、ございました。
 さて、体調が二転三転する中で発声が気になりますが、リハーサルを口パクを交えて行いました。
 本番に備えて、声ガレに注意するためです。そして、直前に腹筋のばらつきを克服すべき内容で理学療法士の先生のアイデアも取り入れました。
 大きく息を吸込み、一気に口をとがらせ全部吐出す方法で、横隔膜に力を入れ意識出来るやり方です。
 それから、午前中にマッサージの予定を他の人に変更してもらい、協力して頂き感謝に絶えません。
 肉体的な内容に加え、精神安定に効果が絶大だったのは言うまでもありませんでした。
 しかし、問題もいくつかあります。本番の時間帯で、麻痺上肢の固まりをいかに防ぐかは、安定剤をいつ挟むかにかかっています。
 活動の時間帯を夕方以降にずらすことは、至難のわざでした。と言うのも、直前2週間3日ごとに歌いこみをいれましたが、その二回目に腹筋にあまり力が入らないスッポ抜けの状態が現れました。
 何をしても、満足のいかない状態で約5時間内に3クールの練習を終えました。この数をこなせないことは、本番の期待が持てないこと意味します。
 ステージ上のモニター音量にも右耳が詰まり感を生じ、声を張る音域でマスキングが起こるからです。やはり多少起こりましたが、生一発勝負はなんとか成功したようです。本番の高揚感でのど声の焼けもなく、意外に体が覚えているようで安心しました。
 次回を期待してくださる方がCDサイン会の折り、列をなして話かけていただいたのが印象的でした。みんな面影は有るものの、年輪を感じます。同級生の落語家友情出演も感謝で一杯です。
 ノーマライゼーションの理解にもコンサート後の意見に、「誰でも一度は障がい者」とうなずいたようです。そして、目の前の私を見て現実を感じ無い訳には行かなかったもののようです。
 今現在は、安定剤抜きにチャレンジしています。つもり積もった薬剤のアカを流せるか勝負の真っ只中で、奮闘中です。
・17_05_04
 レコーディングが終了してから、コンサートチケット販売に着手しています。
 ローカルFMの出演待ちや、多くの人が加わって「ただいまコンサート」を35年ぶりのふるさとで行うのです。
 感謝の気持ちでいっぱいですが、同世代の人や若い世代の人の気持ちに託す思いの一環を体の許せるうちに伝えたいと思います。

 現実、体調はその都度の何某かの理由で最悪のレベル更新です。やはり、産みの苦しみを味わされている感じがします。
 それとは裏腹に、天候も良く、5月の連休は体力に全集中といきたいところです。
 今年の体調不良の要因をあげてみると、寒暖の差から始まり、花粉症の強い影響です。この二つで薬のアンマッチングが続き、下痢が続きます。発声練習とレコーディング時に薬やけによる声ガレと続きます。
 しかも、今でも朝方の花粉の症状で鼻が垂れる始末です。杉のみがアレル源のわたしですが、その後の檜の花粉が入れ替わりに多く飛んだと言われているようです。それらも、どこまでが本当の原因なのかはわかりません。
 ですが、明らかに今年は異常だと言うことです。昨年の状況では考えられなかったことです。
 コンサートまでは毎週の1日3ラウンド個人レッスンは、続いています。やれば、やるだけ成果は上げてくるはずですが、今までで最大級のこむらがえりに利き脚を明け方取られてしまいました。
 左上部、内上部、これでもかと脹脛下部に移り、なすすでもなく痛みに耐えます。
 理学療法士の先生と原因を探りますが、原因は特定できていません。
 しいていうなら、日中の体内水分バランスが急激に塩分を必要として、明け方に強いこむら返りとして現れたのではと言うことです。
 さて、悲願のノーマライゼーションのアピールが、意味のない弱者のいじめをやめさせるきっかけになればと心から祈っています。
・17_03_18
 17年目に突入しています。
 生活環境はグレードアップしていますが、トラブル発生も障がい者で冬を乗り切る私のレベルを痛感します。
 先月より、冬から春先の軌道修正が出来るものと勝手に思いこんでいました。ところが、毎週のように寒さがリセットされてしまい、今はひどい花粉症も加わって、微熱も出る始末です。
 しかも、まさかの風呂場転倒です。幸いに、動けているので歩行運動、発声練習を再開しています。 予定は、目白押しに決まりそうです。
 理学療法士の先生に、状態を砕いて報告していますが、環境の問題点をどのように解決していくか見守っていただいています。 本人が1年通じて出くわす問題を自覚する時、早急に内容に変化を与えることはできません。2年目で対策を実行できれば、後悔することになります。
 したがって、ここまでやってこれたのは他人の判断に任せると、後ずさりすることは出来ない状況を理解しています。

 筋力が落ちて、3倍のリハビリでも今の状況までには、復帰が難しいのです。
 特に気分を左右する薬物のコントロールが、集中力を著しく阻害するからです。安定剤の軽度化をすることも、導入と抜くときは股がっていた薬物の見切りに時間がかかります。
誤解の無いように、私は頓服薬として必要なときに使用する物です。ですから、病を直す為の処方でないことです。使わなければ、それにこしたことはありません。
 障害で体調が日常生活に支障を来す、嚥下の咀嚼(そしゃく)困難時、痙攣、こわばりなど非常を回避するためには何らかの安定剤が欠かせません。

 6月までのスケージュールが先日の打ち合わせどうりに進めば、昨年の体調にいち早く戻さなければならない状況です。
 応援してくださる方々が、無償で参加を申し出てくださる話も聞きますので、手を抜くことはできません。
 小さな輪から広がればノーマライゼーションも転居した理由が見えるのではと勝手に思っています。見守りください。
・17_02_14
 1月中旬の雪に缶詰で一週間。少し寒さが緩み、歩き開始一週間。そしてまた、寒波一週間。約3週間は確実に冬モードとして、特別な?生活パターンを覚悟しなければなりませんでした。
 都会マンション生活がどれほど冬に楽な環境を与えてくれたか分かります。
 特別、この地区の寒暖の差に警戒はしなければいけないと覚悟はしていましたが、昨年の低温火傷を誘発した麻痺足の燃える痛みは幸い出ていません。理学療法士のケアによるところが大きいと理解しています。
 しかし、7度Cを割り込む気温は、私にとって別物の麻痺体が表れることが明確になりました。
 歩行訓練中、こわばり等制御が効かない車いすが必要な状態が表れたのです。マッサージケアだけで、網羅できていないことが分かります。ほぐしや本人のウォーミングアップ等のものとは違い、神経的な要素が制御そのものを拒みます。ズボン下、ホッカイロ等を注意して使用しても補えるものでないのです。
 麻痺足の踵、足持ち上げ、筋肉上のバランスを従来道理の制御順でやろうとしても、こわばりに専有された恐ろしさの連続です。 したがって、利き足だけがたよりです。これらは、練習場所広場の突風が冷気を連れてきた後でスイッチが入りました。
 集会場での発声どころでは、ありません。床電気カーペット、電気ストーブをタイマーで設定を探します。電気製品が6時間の制限付きなので別のタイマーを組み合わせます。
 猫が2匹、避難してきますので睡眠を妨げられますので、これも計算に入れます。ドアをゴリゴリ合図をするので開けるタイミングも慣れました。

 これらも、やはり安定剤の使用テクニックがものを言います。ソラナックスがデパスの補いとしてつかいましたが、脇の下に燃える痛みが表れることがわかりました。レベルを下げて出された安定剤は、ほしいものがあまりないので、安定剤抜きのシーズンに妨げになると心配しています
 歩行練習を取り戻し、発声練習を一早く以前のレベルまで戻せることを目標にします。次のレコーディング予定は決まっているので、待ったはありません。見守って下さい。
・17_01_14
 なんと、「2017/1/31で長年利用していたwebサーバーサービス終了のため、移動します。」のアナウンスをすることになりました。延べ51万のアクセスを頂きましたが、記録として残すことの役割はまだ続いているものです。
 メモリー獲得戦争から、サーバーの無料化に飛びついてデータの紛失で痛い目にあいました。が、母体が生存を諦めたことは、意外でした。
 時代の変化は急激に身の周りで感じています。
 さて、私がマンション生活から抜け出て、朝晩の冬の寒暖の差に戸惑っています。
 こむら返りが歩行の進化と関係なく、両足に早朝やってくるのです。
 私の長年の魔の気温7度以下は、容赦ないブレーキです。期間がどの程度で抜けられるかで決まりそうです。
 歩行訓練の上達があることに専門医、理学療法士共に期待を与えてくれます。
 麻痺のこわばりは経験者はもちろん、痛みまでも強く現れてきますので安定剤が生活のカギになってきます。
 乱用で使用制限がデパス錠に掛ってきました。遊びでは使わないでください。お願いします。
・17_01_01
 あけまして、おめでとうございます。
 本年も、よろしくお願い申し上げます。
 左の写真はもうお判りでしょうが、母の里、宮島です。
 昨年は408万人の人が訪れたとか、またカープ優勝。いろんな場所で寄付行為もして下さる姿は、あっぱれです。平和宣言都市は私たちの誇りです。ノーマライゼーションも理解して頂けると信じます。宜しく、お願い致します。
・16_12_05
 長い間、一人歩きのリハビリをしてきましたが、2016年06月7日から週2回、理学療法士の先生とワンツーマンリハビリです。私にとって、夢のような体制です。
 経験豊富で個人のやり方を尊重して指導して頂き、安心してスケージュールをこなせています。
 やりたいことがあるので、リハビリはあまり苦になりません。少しでも体が楽で体力が向上することが希望ですので、リハビリの為のリハビリにならない共通の認識が得られています。
 つい最近になって、偶然知らない人から私の散歩姿について「ずいぶん良くなった」と理学療法士が耳にしたそうです。現在は実際の歩きを個人が行い、マッサージ、バランス、動きの意識付けなどを自宅のベッドで理学療法士が行っています。

 余談ですが、特に驚くのは私の状態を説明するときに、本物よりうまい動作を見せてくれることです。
 役者さんでとてもうまい方がいらっしゃいましたが、それでも筋肉、筋、骨の繋がりがどこの部分で障害が起きているか、リアルな動きに度肝を抜かれます。
 倒れまいとして、こわばりが疲れと共に強く変化して前傾姿勢になって行く形も見せてくれます。季節感、安定剤、気温、気圧などでも変化することを個性を見て指導してくれようとしています。たとえ遠回りでも、本人の感覚からでしか得られなかった情報の整理から説明修正に努力してくれます。
 そんな折り、姿勢が健常者と見間違うほどによくなっているとのヒントは、健常体の運動らしい正しい姿勢に近づける可能性を感じます。

 実は、私自身、夏の後半に市民博物館へ姉、母と3人で出掛け、自分の動画を撮影したことでショックを受けていました。
 それは、本人の歩きが距離的に進歩しているとだけ思い上がっていたからです。
 原因は、腰が引けて部分的に広く麻痺足を回していることにかわりがなかったからです。思い当たる解決方法は、すべて得心の行くもので、ただ修正をかける順番には自己流のものでは無理があることに気が付くのです。
 それは、麻痺膝を持ち上げることにあまりこだわり過ぎたことです。正しい体制が強制できていないことで、新たな壁が現れてくるものだったようです。
 私自身の教訓に、今ある感覚がすべての麻痺体ではないことです。二人で確認をとりながら自然な筋力を養うことが必要だと理解出来ます。
 したがって、完成体の感覚を一気に収穫を得なければ形になら無いことを認識すべきでした。
 そのなかでも、訓練でバランスを崩すと危険なものの領域があることも注意点です。毎日の一人の生活では、たとえ知識があったとしても完成に近い体力でないと不可能だろうと言うことです。 ところが、腰が引けなく麻痺体の軸に乗せれば、それが普通の歩行と変わらないとわかってきます。
 ですから、今回の一般の方からの意見は、感覚は別としても方向性は正しいと判断をしてもらったことになります。感謝します。
 麻痺体の腰の引けを踏み越える練習に突入しはじめていたと言えます。 当然、最初は転ぶ怖さを払拭しなければならないので、公園の平らな部分のみで歩いたときに麻痺体の筋肉部分に重心が乗っているか確認動作に終始しました。
 最初は、一歩反復だけで麻痺足を乗り越えない形に終始。そして、前後麻痺足を乗り越えない状態。それから、ためしにふらつきながらの怖い乗り越えをやって見るところまですでに体験済です。
 その行程を一週間過ぎた辺りから運動らしいものに変化しはじめての意見だったので、つかめる可能性を見つけたのかも知れません。
 最近、公園で見かける人も増えてきていることは気づいていましたが、嬉しいことです。 寒くなりますが続けます。疑問点の可能性を共に考察して下さるパートナーに感謝しています。
・16_11_10
 今年も後一月半で、田舎へ引っ越して初めての年越しになりそうです。
 娘の婚礼に伴う、親の顔見せ食事会を都会で済ませることが出来ました。
 なにぶん、曲のネット発信もでき世の中の変化にも驚きを感じています。それと、特別アメリカ大統領選挙の結果です。
 自分が出きる最善を心から模索している矢先の出来事ですが、正直不安でいっぱいです。会社にいるときは、障がい者をほとんど意識しないですんでいましたが、無就労の暮らしに入るとノーマライゼーションの浸透を願わなくてはならない現実と向き合うことになります。世界レベルへ一気に近づくことは難しく、制度の違いが浮き彫りになるからです。
 身近で障がい者を見かけることの難しさが物語るように、基本的人権が意識されない現実があります。今のレベルまで下げてしまいかねない事が、起こらないよう祈るばかりです。
 しかし、不安ばかり思ってみても前に進めないので、ノーマライゼーションを意識してもらうことから、始めたいと思っています。不用意に傷つく人が増えないように考えてほしいからです。

 さて、私の本格的なリハビリの効果は寒さが気になりますが、意外に前向きな展開を見せ始めています。それは、麻痺足の足の裏の痛みについてです。
 理学療法士の先生による麻痺足の蹴る力を訓練した時です。支えた足の裏で負荷をかけ、蹴り返すと痛むポイントを伝えたのです。
 なんと、土踏まずで起きていたもので、以前のつま先に近い足の裏が痛んでいたものが移動していたのです。この痛みは新たな感覚の現われなのかもしれないので経過観察をしたいと思います。なぜそのように思ったかと言うと、土踏まずの部分は直接衝撃を受けていないからで、以前のものではないからです。
 撮影してみると立ちの姿勢が歩くと満足いかないことで、麻痺足片足立ちを強化していく過程で起こっています。一人では知りえない内容が明らかになっているようです。専門医、理学療法士の連携もありがたい機会を与えてくれます。HPのクローズも考え直す必要があるかもしれないと思うようになっています。  
・16_10_20
 二日ばかり、明け方冷え込んだ日がありました。案の定、病人の様相を見せています。
 背中もしびれていて、起き上がりにくい、いよいよ引退を決意しなければならない気がしています。
 今週末には娘の婚礼の為、ささやかな親の顔見せを行うため、都会へ出向くことになります。それが終われば、いよいよだな、などと思っていたのですが、今朝のメールで一変しました。
 曲の全国発信が始まり、プレでサイトが動いていると言う案内です。お試し案内のようなものですが、世界発信もピンと来ていませんでした。
 先月末、一週間で一曲をアップしてくれと言う内容で、本気で企業が審査していたことを知ることになりました。
 そして三日後、暖かい日に関わらず体調が悪いことに不安が隠せないでいます。
 もう、一曲作り直しの曲を完成させようと思っています。どうして、配信より優先して気持ちが制作に揺らいでいるのか不思議です。

 歩き指導の理学療法士からのマッサージがとても助けになっていますが、血行の悪さなのかすべては解消されないようです。
 それより、動けることをいいことに、使いすぎなのは自分ではないのかと思ったりしています。が、それにしても、悪すぎるので恐るべし冬将軍です。無事に帰って来たいと思いますが、娘を取られると思うと弱気です。ですが、ノーマライズを少しでも理解してもらえるとありがたいので、何をすべきか考慮しています。
・16_09_11
 あっ、という間に9月になってしまいました。それにしても、ひどい暑さが続いています。 残暑厳しき折という言葉は、いつになったら終わるのでしょう。
 日本中の異常気象は、4年後のオリンピック開催に不安を抱かせます。
 さて、私のチャレンジは、終活に待ったがかかって以来、思わぬハードな状況になりました。
 一連のリハビリの報告の中で、新しい重心の発見を理学療法士のアドバイスを基に出来たように思います。
 まだ、毎日の実戦でつかむことが出来ていますので、長い間暗中無策でいたことが、悔やまれます。 疑問点が解けることの重要性を知ることで、短期に会得したものが多々あるからです。
 歩行距離にほぼ倍の効果がいきなり出たことです。正しい体勢を見定めてもらい、麻痺足のかかとの着地を膝の上げ方から大半の説明を理解できたことです。
 そして、麻痺足に重心をのせて、一歩踏み出す練習をストレッチを終え、休憩ポイントのベンチ前でも行えています。 発声練習の約4時間後に、ターボエンジンが稼働したようなスピードが出る要因は、原因がはっきりしませんので引き続き観察を続けます。
 これとは逆に、注意事項が表れ始めました。
 片足への重心は、献上足の一歩前と一歩後では、全く違う訓練出来ない筋力が存在することです。
 私の場合の補装具を離せない部分が、麻痺足裏側の世界です。健常測後方一歩は、斜め後ろには支えるものもなく、過去の転倒を再現することになります。
 先生に支えをお願いして再現してみましたが、背筋の凍る現実がありました。
 リハビリ入院5か月では、到底知る由もありません。定期健診リハビリなどほとんど無いからです。
 ましてや、短期のリハビリ入院さえ、許可が出にくいのが現実でした。
 就労を離れなければ知りえない現実がありますが、日々、努力している障がい者の方にノーマライゼーションのエールを送りたいと思います。
・16_08_03
 今回、初めてのオリジナル曲の二日連続個人発声練習を終えました。学習能力があまり期待出来ない状態で、実際に何が起こるか試してみる必要性を感じたからです。
 この後、力一杯、腹筋と麻痺腕にも加わる強さも、常軌を逸した強打でも試してみました。
 まさかと思ったのですが、帰り道の田んぼの舗装道路、登り帰り道、複雑な交差など、歩くスピードに変化を感じています。 麻痺足の胴と太ももの堺に力を加えるだけで、歩膝が持ち上がる事に気がついたのです。
 なかなか、麻痺足の膝に意識を連続させるには平地では体重移動が早いため、厳密には行えていなかったように思えます。 ところが、持ち上げる麻痺足を意識するより、腹筋を意識させることが比較的簡単で、体重も落ち着き、膝を連動することが出来るようです。
 そのお陰で、足の回転が早く感じたので我ながら、速度変化を得た気分でした。もともと、速度変化のつけようがないさみしい歩行でしたから、内心の驚きは隠せませんでした。 気分の高揚で錯覚を起こしていることもあり得ると思っていましたが、この時の姿を遠くで眺めていた姉も気づいていたらしく、早くなったと報告を耳にしました。
 あくる日に理学療法師に報告していたことが、思い過ごしで無いとその状況を判断してもらいました。腹筋を鍛えることと速度の因果関係は、後に確信に近づくことになりそうです。
 一日目には、初日のように咽を壊さないようにと最初から弱めに耐久性を注意していました。 二日目のレッスン開始しは良くある変更により、強い発声を求められる想定です。
 咽に負担は免れないのですが、従来にあった詞心を取り戻せるか、理屈では無い対話を取り戻せるのか、自分との対話詞か有りません。 もし、取り戻せないなら、すべての試みをすてる覚悟が必要と思っています。どこかで弱腰のまがい物がぶらさがりの状態でいられる訳がないからです。 そして、少しではありますが、かつて感じられた言葉の片鱗は存在しているようです。
 それは、飽きることがない納得をまだ追い続けていると思えるからです。

 ところで、安楽死をいいながら、苦しみを与え障害者を殺害する。抵抗できない弱者を守れない社会は、未来の進歩の前で誤りを悔いることになると思います。特に利己的で未熟な人間に、結論など出せる能力を期待出来ないことは周知の通りです。
・16_07_11
 体調を整え麻痺体の改造に、この一月は全力を注いでいます。
 声帯が半分しか機能していないことは、当初から耳鼻科検診で承知しています。その機能の範囲で、1時間位は持ちこたえると思っていました。 還暦の再起ではなく、別物を作り上げる覚悟が必要だと最近まで悲観的になっていました。

 ところで、雷雨をともなった梅雨が、九州から連続で地震の被害を広げているようです。心より、お見舞い申し上げます。
 台風の遅い発生に、少しはましだろうと思いますが、急激な夏日が始まっていますし、油断できないことに変わりがありません。 一早く、復旧が進むことを願っています。
 さて、下痢が精神的ものから誘発しているようですが、処方薬も抜本的な解決には至りません。 腹筋を意識した天候不順の練習日には、下痢の気配を感じていたので、腸の冷えなどに対する弱さ克服をメインに置きました。 張るホッカイロを低温やけどに気を付け移動しながら、腰、下腹部を暖めて対処します。
 比較的、寒くない時でも下半身からの冷えが感じられたら、実行しています。効果を感じています。
 発声の為、腹筋を連続で使う2時間前には食事を終えておくことも、不足の事態を待避出来る効果を感じます。適度な余裕はトイレ時間の配分にも使えます。腸内ガスの排出に判断誤認が生じることを防ぐためにも重要です。
 現在、40分連続発声を3回、約3時間までの咽がれの許せる範囲を経験しています。これを目安に、本番の悪条件に作用されない声帯管理を目指します。
 神経的に起こる咽枯れは、基礎トレーニング中の不測事態時の対処法で今のところ経過観察中です。
 安定剤の服用開始時間、効果のピーク、使用条件を熟知していなければうまくいかないこともわかって来ました。特別な高揚が普段の薬用と違う状態を引き出すことあるからです。私の場合、歌詞カードなどの横読み追いが、違う行に入り安くなります。
 誤るとプログラム進行出来なくなることも、個人リハーサルで経験しています。成功率の低い思い上がりの行動であることは自覚していますが、応援者が要る限りトレーニングを続けます。

 次に、週二回の介護訪問リハビリで理学療法士のマッサージや歩行指導が有効なのはもちろん、カウンセラーとしても効果が出ます。歩行距離も2倍に延びて、思わぬ加勢に感謝しています。
 長年の疑問点が次々と明かされて、イメージトレーニングに歩行練習の実践が生きてきた感じです。
 麻痺体になって、約5ヶ月でリハビリ入院を出なければならなかった時から、指導を受けていない部位も十五年立ちます。
 当然、その間に少しは進歩していますので、指導できるものとして現実に現れて見えるようです。
 特に、ひざが持ち上がることに意識付けの好機をキャリアのある理学療法士に行ってもらえる幸運です。 当然、坂道の登り下りでも威力を発揮して、利き脚の間接の不自然なひねりも少なくなり、負担が減っているようです。 イメージトレーニングが、現実に作用する効果として短期間に現れたことは、非常に珍しいことだそうです。
 本人が感じる左右バランスが、指導者の目で確認され、麻痺足の筋肉部位で支えている感覚がどのようなものか認識出来てきました。
 正しい動きがどの感覚なのか、わからない状態では進歩しようもないところです。次々に分かる問題点も、複合的なイメージが現れてきています。
 膝、かかと、つま先、など、歩行動作を開始してから着地するまでをバランスを取りながらのコントロールは至難の技です。 特に、膝の持ち上げと同時に膝下の力をオフすることですが、この練習に上り坂が有効のようです。
 上り坂なので、意識しなくても膝が上がって筋力を意識出来ます。
かかと、つま先部、特にまるまる足の裏つま先部を広げるイメージまで進められるからです。  課題がわかってきたことは、嬉しいのですが、やり過ぎを意識していかなければなりません。  優秀なサポーターを得たことで、不安材料を払拭して行ける事に感謝しています。体調から来る蓄積するストレスが、事前に自覚できることを目標にして行けたらと思っています。

 ところで、このような前向きな時期に、台無しにしている要素があります。
 夜中の不可解な夜尿症に悩まされているのです。安定剤も抜け、十分に尿の排泄は出来ているはずなのに、夜中2時から3時中心に起こされることに戸惑いを隠せないでいます。
 熟睡できるように運動量も増やし、夜中の24時就寝で十分な排尿を確認し、就寝するなど色々ためします。それでも決められたように、目が覚めるから不思議です。
 ベルトも短く切り落とすことでわかるように、着実に体調は改善しているはずなのですが、未だ原因を掴めないままでいます。 コレステロール値が高いのは、今月の(2016年7月末)の検査で調べます。それの処方で改善すれば良いのですが、期待しています。
・投降依頼
 私がhpをやれない日までは、アクセスが消滅しても報告を続けたいと思います。
 なぜなら、片麻痺の最後の生存過程の例をどこにも見つけることが出来なかったからです。その理由の大半死因が別の名前に置きかわるものだからです。
 そんな折、Bungo Watanabe's HOMEPAGEよりメールを頂きました。
 :ホームページ拝見いたしまして、脳出血後の件をいろいろと拝見させていただきました。私、渡辺文吾は20代の時に、過労で残念ながら、脳出血をおこしてしまい、医師から、一生意識不明だと宣告されましたが、手術より、七か月後に目をさまし、現在にいたっている状況になります。このホームページでの、病状事例の一つとして、紹介いただければ、光栄です。;

 この奇跡を拝見するに当たり、奇跡的な障害者を今まであえて報告できませんでした。
 それは、本人から承諾を得ることが出来ないケースや、事実を伝えることにも私自身にもためらいがあるからです。
 差別についても、まともに受け止めてもらえない現場の雰囲気に飲み込まれることで、内心を傷つけてしまうことになりえます。
 わずかな意識不明の日にちでも、脳には過酷です。ましてや、七カ月が絶望の日々かわかります。
 わずか15分、血液につかった脳が死んでしまう現実を思うとき、ましてやどこの情報が失われたか、人によって場所が異なるなど、意識がないのでは対処しようがないからです。
 それでも、生還してくる意味は経験者を理屈抜きで励ましてくれます。
 わずか数行のメールを1時間かけて、送ってくれた人もいました。しかも、完全な文面は無く、誤字を想像で補うメッセージでした。
 経験者である私が、泣けないわけがありません。その時も勇気をもらったことを昨日のように思い出します。
 洗いざらい、事実をぶち明けて下さい。特定の人物の中傷以外、このhpが閉じるまで命を共感できるものであれば幸せです。
・16_06_01
 特別障害一級一種の地方への転居は、以外に大変な手続きの連続です。ようやく介護認定を終えました。まだ、生活は元いたところの落ち着きを取れないでいます。一人では書面記入さえおぼつかなく、姉の代筆で確認を取りながら行っています。母の書類も絡むので姉には感謝しています。
 認定予定の2週間のずれで、体調管理が具体的に進む予定です。治療中断のものも含め、悪化が感じているものばかりです。

 さて、驚いたことに脳神経外科担当医の紹介状で歯医者の予約を行ったところ、訪問治療が行えると言うことです。
 介護要支援2級で訪問マッサージの依頼も手続きが進んでいます。
 前回の経験から靴を脱がなくてよいサービス環境を探し出す事が急務と思っていました。事情を配慮されなければ一人で靴を脱ぐ段取りができないからです。転倒の恐れがつきまといます。
 ところが、スケジュール調整だけで大半のメンテナンスが出来てしまう環境はありがたいものです。
 就労で経済的負担をになっていた障害者が、やむなく地方で高齢者と共同生活をしなければなりません。若い世代の足かせになることばかりが増えていることは周知の事実です。
 幸いにして、目的を共有できる旧友に励まされ、創作出来る環境にいます。
 年々、衰えが顕著ですが事情を理解し、強いとんぷく使用の薬抜きと適正な処方に専門医が見守る環境も感謝に絶えません。又、近所の訪問医療にも応じて下さる地域一体型の医師も顔見知りでの環境です。
 まだ、必要とされているものとして頑張れますが、老老介護が孫に行きつかない未婚者の世代があふれます。
 派遣が減るどころか増えて、社畜の犠牲に埋没する構造は目を覆ういます。政治に増々目が離せない危機感を感じます。
・16_05_03
 熊本地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
 なぜ、今、と、なげきたくなるような事態です。近年、予想された恐ろしい個所では無いにもかかわらず、疲れ切った人たちに復旧の重い試練がようやく動き出しそうです。
 現地の障がい者の状況は、やはり聞こえてきません。救助された人たちが無事に生活して行けるよう心から祈っています。
 さて、田舎に転居をすることになり、危うく手続きミスを犯しそうになりました。時期的に連休を挟むことで、介護申請で障がい者再調査に必要な書類が、間に合わなくなろ危険性が現れたのです。土日を挟み、病院で検査申請のテストなど受け、その月の日付が決め手なのです。ところが、連休明けでは月が変わるため、宙に浮く書類が現れます。審査に一月はかかるとなると、二カ月の遅れになることも想定しなければならなかったのです。マイナンバーの写真付書類が無駄になることは、自治体の都合であり得るところです。が、それは避けられました。届くのはいつになるのかわかりません。
 娘を残し、遠隔操作でマニュアル道理進めましたが、市役所、介護審査家庭調査、駐車禁止等除外標章(身体障害者等用)等、姉の私と母を連れた手続き引率は一段落です。まだ、1カ月かかるものばかりで結果はわかりません。
 他府県に転居だけでも用意できない書類や不備があるとめげてしまいそうですから、申請難民が出ないように願いたいものです。
・16_04_02
 2016/0401より「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行されます。
 合理的配慮は、障がい者の障害の違いを受け止めてくれる内容です。無視されて来た方々にも光が指す内容です。

肢体不自由の例
代表的な合理的配慮の例
●段差がある場合に補助する(キャスター上げ、携帯スロープなど)
●高いところにある資料を取って渡す、資料を押さえて見やすいように補助する
●車椅子の利用者が利用しやすいようカウンターの高さに配慮する
●障害者用の駐車場について、健常者が利用することのないよう注意を促す
●駐車スペースを施設近くにする(来庁者数に応じて施設に近い一般車両区画も障害者用とする)
●車いす等の大きな荷物のトランクへの収納の手助けを行う
●障害のある利用者が化粧室に行く際に、移動を手伝う
●商品宅配時において具体的要望があった際に、品物を家の中の指定されたところまで運ぶ
●エレベータがない施設の上下階に移動する際、マンパワーで移動をサポートする
●自筆が困難な障害者からの要望を受けて、本人の意思確認を適切に実施した上で、代筆対応する
 悔しい思いを和らげて生きられる生きた法律になるようアピールしていきたいと思います。
・16_03_03
 脳出血で右片麻痺になってから十六年目に入ります。
 脳梗塞で左に症状が出て、辛うじて薬で流すことができました。その後、数ヵ月で特別障害一級一種失語症付き等と報告してきました。
又、就労できたこと。東北地震で電気が消えた街を自宅のマンション目指したこと。六階まで階段を妻にヘルプしてもらい、ろうそくで散乱した部屋での経験なども報告できました。
 その間皆様には、多くの応援を頂き感謝につきません。ホームページも容量確保との戦いに苦慮し、データの喪失などアクシデントに泣いたことも、一度や二度ではありませんでした。
 脳卒中の知識が思うように得られなかった当時から比べれば、役割を一応終えたと感じています。個人的に終活の時期で、観点の相違も感じつつ、自然消滅をご了承ください。

 近況報告は、生きて持続可能な限り続けたいと思いますが、検索で引っかからなくなる時までのご挨拶と、させて頂きます。ありがとうございました。
・16_01_29
 父の三回忌を寒波の雪の中で行いました。
 家族だけでお寺の本堂で行いました。親戚も年配者が多くなっていますので、お知らせと茶の子で納得してもらいました。低温やけどの治療が続いていましたので、田舎の姉には感謝しています。
 ところで、その日私にとっても転倒するというハプニングがありました。
 お寺の本堂で車いすのスロープはあったのですが、下りで装具が滑る素材かかと部と、斜め部分の堅い床素材が触れて、後ろに転んだのです。
 かつて、何が起きたのかわからなった、リハビリ病院での転倒記憶がよみがえります。15年前の装具がらみのものは、三日後に症状が現れ、ベッドから起きあがれないものでした。
 今回は、氷と同じ滑り方で、注意したのにもかまわず2度も転びました。
 敗因は、手すりはありませんでしたがなだらかに見えた斜度と、薄いフェルト加工と勘違いしたものです。
 その場での痛みは全くありませんでした。外は雪景色で寒かったのですが、裏庭のトイレに入りたい一心でことを済ませました。

 お墓は、山の雪がなくなって改めて行くことになりました。
 終活は昨年に続きますが、私の代では終わりそうにない内容です。ちらほら、深刻な問題に気付き始めた人たちが、耳を傾けてくれますが、若い人たちに理解が必要なことは言うまでもありません。
 都会暮らしの低所得者が、田舎に老朽化する家屋の処理費用を捻出していく姿は悲惨なものを感じます。
 もちろん、土地神話が復活すればよいのですが、都市部だけのように感じるのは考えすぎでしょうか。
 循環する公共事業の本来の役割が、論じられないことは残念です。
・16_01_08
 本年も、よろしくお願い申しあげます。
 初期の視床痛(2001年7月頃の報告)と似たものが現れています。
だとすると、外部的刺激の要因を与えないことで、痛まないものだと言えます。
 その方法で危険なものを選んでしまったのが、使い捨てカイロだったことは否めません。
 残念ながら、ほとんど冬場本番は対処方法がありません。薬付け籠の鳥です。
 しかし、今回は歩行訓練による逃げ方では逆効果で口惜しさが残ります。
 体調を取り戻すことができるのは、そう簡単なことでないと思い始めていますが、流れに身を任せたいと思います。
 暖かくなれば、病人モードは嘘のように消えると思うからです。
 今年も続きます。暖冬は私にとっては味方なのですから。
・15_12_24
 今年は、後半の不注意からきた体調不良にいまだ悩まされています。
 終活も思うようになりませんでしたし、空き家対策も未完成のままです。 良かったことは、母と二人で暑い夏を歩いて思い出を共有できたことです。 それと、生活に埋没していた未完成の曲を作り上げる事が、自己満足ではありますが出来た事です。
 それだけでなく、同世代の旧友がコンサート発表の機会を楽しみにしていると、期待してくれている事です。

 脳卒中に関する欲しい情報が、十数年前はネット上では少なく、自分のことを報告することを目的に、このHPを立ち上げました。
 身動き出来ない働き盛りの障碍者にとっては、すべてが不安その物でした。 小学生だった娘にイラストを頼み、勉強しながら立ち上げたことを思い出します。
 私と同じように不安を抱えた多くのご本人、家族、医療関係者の方などネット上で励ましを頂いてまいりました。

 その中でも、東北地震の後、約70アクセスが消えたことが悲しい記録として残りました。
 毎日、血圧、アクセス数の変動を開設当初から記録しています。 アクセス可能な人が、一瞬にして消えました。地震後、脳卒中者の報告をマスコミでも報告されていないようです。

 さて私は、幸いに就労を10年行い、障害者の就労実態を経験できました。そして、現在終活の最中です。
 その都度、障害の状況、環境の変化等、出来るだけ忠実に記録してきたつもりです。 脳卒中は個人差があるため、個人の報告の一編でしか報告できません。

 その中で、音程、リズム、発声についての報告はほとんど報告できていません。 音楽を目的に上京して関連の職業も経験しました。参考になれば幸いです。

 歌のオリジナルキーが1音さがり、リズムも前つきを意識し、腰周りの腹筋と呼吸の同期等、訓練するに当たっての注意点に特殊な条件も加わります。障がい側の収縮に意識を注ぎ徐々に同化することです。
 また、人前での神経的な興奮の変化がどのように作用するかは、ステージ上では未知数です。
 この経験するチャンスが、かつて失語症の電話でしゃべれなくなる経験を思い出します。本番の舞い上がりで、怖い内容を想像できます。
 ちなみに、右半身の機能をほとんど失っての歌のレッスンをことあるごとにカラオケを中心にしてきました。録音をして、リズムの「後つき」がひどい時期から、モニターを試みてきました。リズムノリは、ジャストビートを意識できないと矯正することが難しいのです。
 わかりやすく言うと、腰でリズムを取るため立ち姿勢で練習し、腹式呼吸をするため障がいで右腹筋の付かない状態でも安定ポイントを探ることが必要と言うことでしょうか。

 実は私には特殊な障害が加わります。肉体的な障害より、神経的な内容の克服は精神的部分も含め、致命的内容があります。
 歌詞の感情移入にかられやすく、ストップを余儀なくされる事です。コントロール出来ていない状態が現れる事は神のみぞ知るです。
 また、腹筋が安定せずに、音程によって「スッポ抜け」が起こることです。 これらは、練習するしかありませんが、もっと深刻なことがあります
。  足の痙攣が連続で始まり、座ることで納める内容です。
 デパスの服用で緊急脱出するしか今のところありません。心配はろれつの問題です。 しかし、程よい緊張で気にならずにすんでいます。それにしても、確信が持てる良いレッスンとは言えませんが、見守って頂きたいと思います。
・15_11_29
 低温やけどは、都心に戻って皮膚科治療でようやく、 「二週間後に見せてください。」 に変わり、落ち着いた感がします。七週間目も終わることろです。
 今までの経過:
1.麻痺体に視床痛が急に現れ、寝起きてすぐに歩き出せない状態が本格的な苦痛の始まり。
2.足首、ひざ関節を暖めることで、時間をかけて立ち上がり、肩のこり、痛みから解放される方法を探索。薬、湿布、体制など。
3.その直後、視覚から隠れたふくらはぎの外側に貼ったカイロによる低温やけどが加わる。(大きな落とし穴に落ちた先月の続編は終わっていません)
 それだけでなく、都心帰宅後なんと歯が欠けてしまい、虫歯と言われ削られてしまいました。神経も抜かれましたが、麻酔注射の効果も良くわからないものでした。 麻痺している右顔面の状態で、何かしらの痛みも感じなかったのがさみしい現実です。

 二週間も思うように噛めないので、こちらのストレスもパンパンになりそうです。 今回は、一つずつ焦らず、治療が終わることを目標にしていますが、とても危うい感がぬぐえません。足で体調の回復を行えないことが、致命的要因になると実感させられます。
 眼科、インフルエンザ予防接種、健康診断、補装具の修理等、急ぎごとは目白押しです。
 なぜ、急ぐかは年明け早々、父の三回忌で田舎に帰る必要があります。 冬のトレーニングを田舎環境で行わなくてはならないからです。
 一ヶ月体力を落とすと、回復に三ヶ月かかると言われていましたが、現実になりそうです。
 今までにないトラブルの連続に、気落ちしそうですが、見守ってくれている友に感謝します。ギブアップは、まだしません。道はまだあると思うからです。
・15_10_29
 空き家の実家で筋トレ中、激しい麻痺足の痛みが現れました。
 急激な寒暖の差が起こったことが、要因であるかのように楽観してしまいました。 痛みは強く、うずくまりにて予定を終了しました。
 それから、二週間になろうとしているのですが、カイロの低温やけど、嘔吐、立ち上がれない足の関節の痛みで、未だに復調していません。 23日には、新幹線で帰宅しなければならないのです。それも、定期検診の為の帰宅です。
 それまでは、日にちをわずかに残し、病院に行くことが出来ないと判断に甘さを加えました。半年無事に過ごして来れたのに残念な痛みとの戦いです。
 。
・15_09_21
 朝晩の気温の差が、清々しい朝を一変させています。麻痺体のピリピリが、痛いのです。夏場3周間のデパス抜きが、いとも簡単に必需品です。
 母との散歩は、ついに静止が効かなくなってきました。認知症の進攻が以外に速いのです。
 全体の状況がわからなくなり、幼児性も感じます。姉に私の足では危険を回避出来なくなって来ていると伝え、ヘルパーさんにも報告をしました。
 覚えた歩行ルールの実行後は、問題をあまり感じません。 歩くことは、それほど効果があります。
 片麻痺者が共通する経験を感じることで、反応が必然とシンクロしたスピードになります。途中、手作りもつの薫製を輸入ビールの薬用が感じられおいしい乾杯でニコニコです。
 麻痺の薬を洗い流してくれる感は、夕食の食欲にも影響しています。

 ところで、今月は私個人にプライベートな動きが出て多忙となりました。空き家に一人、約1周間缶詰状態で作業をすることになったのです。
 田舎の古い友人に、私の作曲が完成可能ならアレンジを依頼していたのです。終活をするにあたり、10年以上の歳月で作品に納得出来ず、今回お詫びとキャンセル料を送った後でのことです。
 地方で著名なプロである彼は、返還のために会いに来たのですが、事情を再度説明し受け取りを願いました。
 そこで、来年の3月にコンサートをするので、それまで預からせてくれと受け取りを保留し、継続することになりました。
 空き家に缶詰となりましたが、作業中、コーヒーを利き脚にこぼし、やけどをしました。なんとかアレンジに回し、一息つけました。
 結果はどうあれ、私にとって感謝に耐えません。妻の最期の枕元で、未完成の曲をハミングで聞かせていたからです。
 この間に、ベルトの穴が足りなくなり、それでもゆるゆるです。  血圧に気を使い、次の動きに備えています。なぜなら、健康管理がきびしくなる寒さがやって来るからです。
皆様の健康を祈ります。
・15_08_19
 ひどい暑さが来ました早朝の歩行でも、汗ばむ状態です。
 私の田舎は二週間を越える勢いで、三十四度の中、夏の直射日光がとても強いことを感じます。障害が無い頃の、暑さに対する普通の体感の記憶はあまりありません。なぜなら、半身が麻痺の痛みで日差しの射し込む感覚が消されているからです。それなのに、独特の直射日光は感じているから不思議です。
 歩行訓練もかねた、近所の大学の図書館までの行きは日差し浴び放題です。
 家を出て、約20分、それから、急な登り坂道を含め、10分と険しい物です。この坂道は、下りを経験出来ません。補装具を着けては、危険すぎる勾配だからです。
 登り終えたところで、トイレ休憩10分、、また歩き始めて大学内ラウンジまで20分で約1時間の行程です。
 汗びっしょりになって夢中で歩行します。そのためか、麻痺のピリピリ感を感じている余裕はあまり無いようです。
 過去に、パラレルに思考が回りにくいと報告した記憶があります。ひょっとして、一番気になることが続くと、その後の感覚が、極端に押さえられるのかもしれません。すべてが、そうなのかもしれないと思い始めましたが、確証にはいたりません。 坂道が多いせいなのか麻痺股を持ち上げ、踵の着地を意識して歩行しています。 デパス錠を抜いた状態は今だ続いています。(結局、約3週間あまりで終了しました)

 今までと、わずかながら体感に変化を感じています。図書館での読書の粘りにも理解力に変化が有るのかも知れません。このような他人事のような判断でしか、自分を評価できないのは、脳の欠損部分が有りながら毎日の思考を麻痺以前と比べようとしているからです。
 この変化の意識のなかには、確かに以前の感性が含まれているような、懐かしさを感じます。ところで、読書の感触もそこそこ上がってきて、いつか、満足な線が現れてくると期待します。
 気になることは、目です。問題は、右目が極端に霞んできているのです。従って、煩わしさが足を引っ張り始めています。眼科に行けてないので気になります。
 ちなみに病院の許可は、最長3ヶ月、娘の代理受理で3ヶ月と計6ヶ月の出張が許されたものです。
 したがって、コピーの保険証は持ち歩いていますが、よほどの病気でないと地方の病院には行けません。後日帰還した場合の、立て替え請求が発生するからです。それまでは、自己負担となるのです。医療の現金支払いは高額なため、簡単には行けないと学習住みです。
 ところで、大学の図書館に頻繁に通うきっかけになっているのは、歩行訓練以外に空き家問題が引っ掛かっているからです。
 終活に来て先行きによって多額の出費をどぶに捨てるかもしれない内容を含んでいる空き家新法です。税制の歪みで起こる問題に専門家の意見も様々です。それに直撃される対処不能の物件が悲鳴を国にあげるとき、法律がまた動く事になります。 一部の地下上昇と、今だ下がり続ける大半の地価。今の消費税増税時以前の生産回復が出来ていない企業の多さ。次は待った無しの消費税10%確定です。
 そこに、少子かで高齢化。家屋の老朽化。罰則固定資産税特例解除。廃屋撤去など。切りがない社会不安がやってきます。
 そこに突きつけられる現実は、自立した若者のアパートの家賃で消えそうな給料に愕然とするばかりです。

 ちなみに、首都圏、関西圏の未婚者で、20歳から30歳代の調査で14.3%が無職だそうです。そして、有職者の30%が年収200万未満だそうです。正社員が2%を下回っていると言うことは、ボーナスが無い派遣等に従事していると言うことです。
 親との同居4分の3で、「結婚する、できる」が一割未満とくれば、将来絶望の中にいる人々で溢れる事になります。そして、自己借家の家賃は、手取り月収比、三割以上が、57.4%。五割以上が30.15%です。
 これでは、家賃のために働いているようなもの。当然、生存するために、親と暮らさざる終えず、ただ飯を食う無職が39.2%となっている訳です。稼いでも100万未満が、43.1% だそうです。
 どのようにして、高齢化した親を養い税金を納めるのか、考えたくない近未来はすぐそこにあります。
 私は年金を持ち寄って同居をしながら終活をしていますが、若い世代に理解と協力を求めなければうまく行きません。
 上記の数値が理解でき、近い将来に少しでも余裕を残すためにも、年金が外部施設の費用などで消えないようにしなければなりません。自分達の親の準備を(定年を迎え、待機期間の私の実姉)同時に協力しての同居なのです。
 長生きすれば、余裕が膨らむ年金パワー。世代を越えるしばしの、自立共同生活です。

 このような、状況で歩行訓練は続けられています。母の認知症も二人での緊張歩行を終えると笑みが戻っています。暑さを避けるためにディサービスを一日増やしましたが、やはり認知は進行して感じます。
 涼しくなって、ペースを取り戻さないと行けないと思いますが、私の行動と密接に関わっているように思います。従って、85歳を越えての珍道中が、長く続くことを願っています。
 「親より早く死んだら、親不孝だよ」を今のところ守れていますが、年金支給待ちの姉家族に少しでも貢献できるように長生きしたいと思います。少しずつ、幼児性も出始めて、隠しきれない認知と戦っているように思えます。被爆の後遺症も追いかけているので、見届けたいと思います。
・15_07_26
 田舎生活2ヶ月超えましたが、気候の不安定さは容易に歩行ペースをつかめません。
 台風が大陸にそれて、一安心と思いきや次の大型台風がやってきました。その後も、午前中は雨、風も時々強く吹くと言うことで、天候に振り回されて思うようになりません。
 そこで、歩行活動をあきらめて、家の中で頓服使用のデパス錠抜きをしてみようと思いました。慢性化した一日一錠の服用を、毎年恒例の暑い時期に止めて様子を診るのです。
 7月中旬月曜日、雨、身動きができません。
 デパス錠を朝から抜きました。午後から、漢方薬柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)で眠りに誘われ、部屋から出ないでその後も会話をさけました。失語症のため、うまく口が回らないためです。
 2日目も雨の為、同じように漢方で逃げます。とうぜん、こわばりを少しでも押さえるためですが、精神的に沈み込む効き目が強く感じられ、いかにデパス錠と相性が良いかわかります。
 夕食時、嚥下障害から麻痺側の締め付けが大きく咳き込みを助長し、咽喉の途中で簡単に捕まってしまいました。後、少し痛みを感じます。ここでも、連続日でのこわばりが取れていない状態がわかります。
 3日以降も漢方を抜き、近場を歩いみましたが、ちょこちょこ歩きもこわばりのせいで散々です。デパス錠の禁断症状も感じています。基本的には副作用は無いと言われていますが、試用期間が長いと近場の軽い記憶障害など影響は皆無ではありません。前の会社でも保健師の方から聞かされていたことです。
 舌がにがい、寒気がする。拘縮(こうしゅく)が現れる。顔のひきつりがきつく、噛み締めるとゆがみにより唇を噛みに行くなど、数日続きます。
 2週間目の終わりに入ると、痛みも慣れに入り、全般的に落ち着いてきます。思考の滑り感もうすく、まとまりも出てきました。食欲も徐々に回復する様相を見せています。

 今までに、第三者が見守ってくれる環境で、デパス錠をやめることが出来たことは感謝しています。
 一人で人混みに紛れての生活は、緊張からこわばりなどで転倒等を想定しないではいられません。したがって、社会生活を営む上で、やがてくる寒さを乗り切る必要があります。その為には、必要な相棒のようなものとして安定剤と付き合って行かなければなりません。
 今年も制御できる範囲にいてくれると安心しています。気休めに思うかもしれませんが、思考に粘りが出ることで徒労に終わる内容も簡潔に近づけると思います。 このまま、必要でないかのようにしばらく続けたいと思いますが、母との歩行に不都合が現れたら再使用するでしょう。まだ、途中にいます。休憩なしの坂道コースが次の目標です。
・15_06_28
 本来のペースは崩されて、終活の深みに飲み込まれていきます。
 自分だけの問題より、娘たちの世代に残される問題が雨のように降り注ぐからです。 少子化の代表である私の娘のように、二件も田舎の老朽化した空き家を背負わせなければならないことは現実の一つです。
 とうぜん、今生きている高齢の母と、最終章を共にすごしている私の存在です。
 田舎を出て都会で妻と出会い、生活設計をともにすると言うことは、こんなにも浦島太郎の末期が身近にあるとは知りませんでした。不動産神話がくずれ、地方を離れた普通の暮らしを根こそぎ奪い去ってしまうような空き家新法の存在です。収入の無い地方の過疎が問題視されても、田舎を持つ子供たちの収入では、行くも帰るも死活問題になりかねない深刻さが含まれています。しかも、ナンバー制度でがんじがらめにされた、逃げ場の無い世代が夢を無くすことも深刻です。
 しかし、呆然と立ち止まることはできませんので、体調の管理を改めて立て直すべく、再奮闘し始めました。今のところ、気候にも恵まれて歩行ルートを実際に体験できたことで勇気が出てきます。予約待ちだったネット回線工事も終わり、少しづつ計画の先行きも見え始めました。

 早朝の血圧測定から、近場の散歩コースを定着出来ました。 アップダウンがあるので、今でも心地よいコースとは言い難く、つらいことはぬぐえません。 食事の後、母のディサービスの日を除いて散歩に出ます。
 散歩のコース取りを理解させて、一列になりコミィニケーションを取りながら進みます。 85歳ですが、要支援から要介護2に格上げされた内容は、本人には知らされていません。 それでも、鼻歌を歌いながら私について来てくれます。健常者?の母より歩みの遅い片麻痺者の奇妙な道中ですが、今のところ順調で、目標もほぼ達成できました。

1、都市交通で二人半額切符を購入、散歩コース
2、大学散策、二人昼食コース
3、自宅から1駅散策、帰り都市交通コース
4、急勾配登り休憩挟み、喫茶レストラン経由、いつもの逆コース終了

 夢の4、は、明くる日に麻痺足の中指の爪を剥がしているのを発見。 5日連続で順当に目標を達成出来たことで、少しストレスが解放されたように思います。 汗のねばりが、大分薄く感じて来ましたので、これもよい傾向に思います。
 ところで、3、の道のりは比較的平らなもので、コンディションを整える重要性を感じました。 アップダウンが硬直を呼び、距離が短くても時間を要し緊張がいつまでも続いた状態で推移します。
それにしても天候が変わって、温度差が大きいと感じています。 これにより、不調の感覚が頭の血の循環と同期しているようにも思えます。
 コース取りは、まだ開拓の余地を残しています。生活圏で身の回りの調達品などは、済ませたいと思うからです。 どちらに転んでも良いように、基礎体力だけは確保することが命題です。
・15_05_28
 希望就職先が先細りして、職業安定所の認定が終わりました。就活(就職活動)をしながら終活もはじめました。特に長男の田舎での役割はこじれた内容を含むと気力体力を必要とするものだと痛感しました。親族が一丸となってやらなければならないことも思うようにはいきません。
 大変な時代ですので廃屋、認知症、相続税など、半端な負担ではないことがわかります。「空家等対策の推進に関する特別措置法」消費税10%の実施対策など次の若者の負担を極力抑える必要性に終活が大きくかかわってきます。
 私には関係ないと言える余裕は、全体的に減ったことはわかりますが、生存に関わる意味の大きさがおぼろげにしか理解できていないようです。
 たとえば、身を寄せ合わないと家計に収まらないことや、学業の差別化では同じ居場所をを共有できない事態です。サークルで喫茶店を集合場所にされても、お金がないと言えない気まずさなどを経験することなどです。高度学習教材も手に入れることができない中・高校生受験生を家族だけでなく親族も含め巻き込むことにもなります。

 もう一つは、ナンバー制度です。社会の貧困層、富裕層を問わず生まれたときから犯罪記録などが残り続けるかも知れません。そして、今より尚広範囲に親族全体が検索される恐れです。特に対面を気にする日本人には、脅威になりえます。
 ちなみに、職業選択の自由に親族の経歴で左右されるものがあるからです。したがって、「おれ、おれ詐欺」の隠ぺいという体質を目の当たりにし、人ごとではないことを知るべきなのかもしれません。

 さて、当面拠点を変える田舎暮らしは、不安定なことばかりです。坂道の多い勾配の繰り返しが、ペースを整える歩きに影響します。こわばりばかりが増えても、対処できる方法が見つけ出されていないのです。
 何年も安定していた血圧も、徐々に上がってきましたが、5月にしては暑い気候が現れ、幸しています。街中で無い田んぼの隣接環境ですが、かえるの騒音も意外に気になりません。(卒倒するように眠りについて、早朝、5時前後のスタート環境は苦になっていません)
 事前にヤフオク落札ゲットのコンピューターを仕立てるために、奮闘しています。娘とテレビ電話を開通させ、遅くて固まる最新?モバイルを高速にする工事の予約を待っています。
 何事も忙しさは刺激そのものです。気持ちが落ち込む終活を少しでも意味のある位置づけにしたいものです
・15_05_13
 ようやく、汗ばむ季節に加速しています。(4/17〜)
 残念なことは、気候がまだまだ不安定なことです。朝日の様相を見せていた天候が、昼には雨傘を用意しなかったことを悔やむのです。何度も雨男を自覚していたのに、あきらめの悪いことです。
 この雨男は曇り空で出歩くと、一度はパラパラと来るので、娘はあきれるのです。自分の片麻痺の歩行速度と動作の遅いことは、健常の高齢者のよぼよぼ動作に負けます。
 娘と近所のスーパーで買い物を予定していても、パラパラと少しでも来れば緊急避難命令が出ます。
「先に家に帰って!」
 疑いもせず、回れ右です。あうんの呼吸で、重い荷物が届くのを自宅で待機します。
 この暮らしぶりも、そう長くは無いとは思いますが、雨男がいなくなると灼熱地獄にならないか、よけいな心配です。
 ところで、今年の夏は妻の里で法要が有ります。高齢の親族がいますが、ほぼ絶家のため娘が嫁ぐと供養ができなくなります。
 したがって、この夏は娘は北へ、私は南へと旅立つことになります。時間と費用のできる限りの節約です。田舎での年寄り兄弟組共同生活を体験します。年金が支給されない間、肩を寄せ合う必要性も加味してます。
 そして、次の世代も新しい協調性を模索し、身に付ける必要性が出てくると思われます。従来言われている年寄り中心の協調性は難しいので、精神的住み分けを考えることです。自暴自棄に走らない1人、1人の役割を理解することが大事です。

 幸いにして、1人っ子の娘はよく私と話します。私自身の高齢の母と、出きるだけ長く暮らしてやりたいと言う思いを理解してくれます。それと私の希望就職先は先細りで、いよいよ認定も終わりです。
 思い起こすに、仏事、相続など、本人でないと完了しないことが前職を退く重いきっかけでした。その後も、収入がなくなっても前年分の税を納め、固定資産税も支払います。各々、地方で残された老朽化した家の負の遺産。障害者であっても、財産を所有し税を納めるという義務です。
 しかし、収入がなくなっても義務は残りますので、生存はしなければなりません。何としてでも生きなければならないと思い詰めるわけですが、高齢化社会は早めに終わらせたい本音が、この国の高給取りに伺えます。そうは行きません。みんな、順番ですから生きられる仕組みが未完成なだけなのです。
 世襲議員と役人下りの無所属看板の政党議員。国家予算規模の所得族。ガードマン無しで歩けない社会は、すぐそこまで来ているように感じます。
 飢えた若年層のモラルの低下は、生死に関わる行動に関わるからです。取り返しのつかない方向に、舵を切り始めていないか指導者に問いたい心境です。

 この頃、電車の人身事故によるメール配信速報が、毎日のように入ってくるのは偶然では無いと思い始めました。あまり報道されない身近なニュースは、ネットの速報などの伏せることの出来ないもので読み取る必要性を感じます。
 死んでは、なりません。国は生命を守る義務があります。勝手にあきらめては行けないので、無い頭をしぼります。フレー、フレー。。。
・15_03_22
 冷たい雨が一日中降って、出かける予定を足止めされたりします。それでも、出かけなければならないときは、傘を持つか持たないか悩んでしまいます。
 憂鬱な気分に支配されていくうようで、この時期(三月初旬)の天候には、暗い独特なものを感じ要注意です。 気温と気圧の一日の変化が大きいようで、精神的にも落ち着きが無く、その反面うつのようにも感じます。
 また、今年の花粉症は増加傾向にあると言われますが、私もどうやら簡単に逃られそうにありません。
 その要因に、花粉症の眼科の薬が前年のものと違います。かゆみが止まらないので、効果が現れるまで耐える必要性を感じます。案の定、網膜の治療にも関連したアレルギー治療薬で、スマートに解決といきたいところ、思惑はみごとに外れました。
 「どうにか、してくれ!」とばかり、未開封の昨年のアレルギー点眼液で様子見です。なんと解決してしまう勢いで、かゆみが止まります。
 以前、他の病院で先生を怒らせた時のことを思い出します。「そんなはずはない。そのような薬ではない。いやなら、薬を出さないから」
 片麻痺者には大人の使用量や、安定剤など混合による独特の症状が出る場合があるので慎重にならざる負えません。したがって、頓服使用としてまかされています。つまり、適切な細かい処方がないと言われているようなものです。 このことを「本人が良く分かっているからね」と優しく観察してくれる先生と、反対にご意見無用の若い大先生の存在に怯えるわけです。看護師も目くばせする露骨さが、失敬この上ない状態だったりもします。
 幸いにして、最近は決まり文句で事なきを得ています。いそがしい診療のコミニュケーションは、定期検診程度の内容には不要のようです。
 頻繁な医師の移動時期が沈静化している病院に感謝しています。証明書発行等で不愉快な思いをしないためにも、つないでおくことは死活問題です。
 自己責任でのミスは、公の諸手当がもらえなくなるばかりか、変更内容などもケアマネージャ等のアドバイス無しに成り立たたなくなりそうです。
 不都合な人間関係になるわけにはいかないので、今回でも先生の癖をつかんでおかなければ、不愉快なやり取りが生じます。「前回の薬は、あまり使いたくないんだ。」 かゆみが止まらなく仕方無しで、未開封の物を一時的に使用したことは報告しました。
 すでに、何年も使用して一週間でかゆみが治まったこともです。ここでの会話では、問題が起こらなかった数年に、この薬が新薬とどのように問題があるかです。何故なのかの説明がありません。
 かゆみが治まらず、網膜に傷をつける恐れの方が重大だと思うのですが、叱られるままにしておきます。名前と顔はしばらく忘れないと思います。
 ちなみに、診察の前は必ず目の検診測定してくれた方も、私の話に同調した意見をしていました。「前回の薬以上のものはないので…」
 痒くて網膜を痛める危険と、短気の使用で目を傷つけないで解決できる方法は、本人の意思を確認して不都合を説明しても良いのではと思うのです。
 新薬の実験データを薬品会社に売る事だけが、医者の役目では無いはずで、配慮があるべきと思います。思わぬ誤解を生んでしまいかねない言葉足らずは、時間短縮にはならないことを知るべきです。
 貴重な医師を守る気持ちに変わりは無いのですから。
・15_02_25
 認定日と雪がニアミスです。一番恐れていたのは本番ですが、辛うじて受理してもらいました。
 最終閲覧を予定した日には、朝から積もっていましたが、タクシーを呼べば良いとたかをくくっていました。
 会員券を見ながら、何度ど長い電話コールをしたことでしょう。タクシーはあきらめました。以前よりひどい絶望感がしました。駐車場まで歩く雪道のチャレンジは、マンションの敷地さえも越えられませんでした。みぞれに変わったところで、ぬかるんだ雪の深さにおののいた片麻痺障害者の姿です。
 この日はあきらめました。怪我をすれば、チャレンジも何も無いからです。休日明けに最終チャレンジすることにしました。残雪を想定すると、生きた心地がしないのですが仕方ありません。ところが、あくる日雪が消えました。狐につままれたようです。

 その後も予想に反して、雪は積もることはありませんでした。娘は、有給を急きょ私の為に取ってくれました。そして、本番日は同行してもらいました。安心したのか、こわばりも少なく、感謝の一日でした。
 来月の認定日は同じく、娘に事前にスタンバイしてもらうことにしました。また、バカ雪が来ないとは言えないからです。
「お父さんが、障害者だったことを忘れていた。」
 と言われ、雪の日にもがく私の姿を見て娘が発した言葉です。 気づかう気持ちが、嬉しかったことを思います。

 ところで、最近生活環境もきびしく、笑えない状態になってきました。 そんな折り、想定しなかった建物のエレベーターの部品が無くなるため、修繕が必要になることを聞きました。
 その間、私の住む6階を上り下りしなければならないかもしれません。地震の時、町全体が停電した中、階段で懐中電灯を灯し支えてくれた妻はいません。生活環境の変化をいよいよ真剣に捉えなくてはなりません。不必要なものは極力除外し、計画の建て直しを考えています。
 今のところ、ボケてはいないらしいので、自信をもって考えたいと奮闘しています。

 花粉症が始まって、新しい目薬を使用し始めました。かゆみは治まっていますが、メリケン粉を目にまぶした違和感はでています。
 去年から比べ半分の人が、生活が苦しくなったと言われます。消費は連続して下降している中、このままでは、高齢破産が通常生活者の近未来に現実として多く現れています。集合して生活する知恵を模索しています。
・15_01_30
 年明けの緊迫感から、少し解放された時間を、一月の中旬で過ごしています。
 今年の帰省は、法事から始まりました。妻の三回忌と父の一周忌が、同じ一月でしたので合同で行いました。予定していた親戚の方も、高齢体調不良等、急きょキャンセルがありました。寒い時期でもありますから、余計に申し訳ない気持ちです。
 しかし、この時期の片麻痺者には、さみしさを感じる暇さえ与えられないようです。早々に、スケジュールに後押しされ帰宅でましたが、職安認定日に間に合ったのが何よりです。

 極端な麻痺のこわばりからくる痛みはうまく避けられたようです。兆候が感じられると、安定剤を早めに使用したことが良かったようです。
 ちなみに、会話を多くしなければならなかったことで、疲れは予想以上のものでした。しかし、今の段階で精一杯できる事の報告と、これからの対応予定を伝えることができました。
 移動中、幸いに自分の行動範囲で、雪の影響を受けなかったのがなによりでした。

 さて、そうこうしていると、身近で思いもよらない問題が起きました。娘が、ぎっくり腰になってしまい、困惑しています。
 仕事中、くしゃみが引き起こしたアクシデントです。比較的軽い診断ですみましたが、しばらく、安静にしなければならないとのことです。
 休むと困ると言われ、無理をしないようにと矛盾の一言はどこの職場も同じです。帰宅時に痛みを訴えてきたので、近くの整骨院に行かせました。

 話は変わって、こんなところで自動車の運転が役に立っています。ずいぶん、なれてきた感じはありますが、緊張感は以前ぬぐえません。
 それは、バック運転が必ずついてくるからです。その際、車体が思うようにまっすぐになりにくいのです。回転ハンドルで常設位置のタイヤの常態がわかりづらいのです。ずいぶん、上達していますが、お世辞にもうまいとは言えません。
 健常体の時は、上半身をねじり、後ろを目視していました。一発で車庫入れなどの経験があったので、もどかしさはぬぐえません。
 現在は、手作り工事のバックモニターと常設のバックミラーの両方を使いますが、何度も確認する動作に落ち着きがありません。接触は避けられているので幾度か切り返しで対応しています。
 冬場、車内の曇り止めや、車外のバックミラーの水滴を、未然に調整する必要があります。すべてが、片手作業であり緊急性が必要となる場合があります。雨の日傘など持っては、作業になりません。
 すべてにおいて、事前の準備と法廷速度で対応していますが、写真でもわかるように問題の交差点で事故がありました。目撃者を探す看板が後に立ててあります。
 左折でトラックは無理だと思っていましたが、交通事情が変化しているのに対応してないようです。
 蛍光たすきを夜道では着用していますが、自転車、人をわずかな側道で交わさなければなりません。街灯が不十分で暗いため注意が必要です。それにしても、暖かくなることを願うこの頃です。
・14_12_29
 今年も、最後の月になりました。数年、まともに正月を祝うことが出来ていません。高齢化社会に突入して、自分もつられて葬儀の順番待ちでもしているような弱気です。
 ところで、消費税に加え、物価上昇が気になるこの頃、政局の動きが気になります。
 思えば、いきなり大臣が二人やめさせられ、空転だけの国会に開いた口が塞がらなかったこと。のちに、再度当選をしてしまう選挙結果にまたまた、開いた口が塞がらないことです。
 比例代表制は、個人的に選挙に負けても上位者は国会に残る為、違和感があります。人ではなく政策案が政治を動かしますので、個人的な嘘を平気でつけるのです。
 前政権交代時、国民の前で何やら約束したやり取りも、後味の悪いドラマのワンシーンになったことは、続編の不誠実な公約違反でした。
 弱者が立ち上がれなくなるまで、打ちのめされるヒーロー不在の社会にはならないと信じたいものです。
 なぜならば、富を独り占めする勝ち組だけでは、人間らしい社会が維持出来ないからです。
 景気回復が歪むと、有能な子供が貧困で飢えにさらされますし、深刻な心の影が広がって信頼性を取り戻せなくなります。
 しかし、平成のこの時期、右片麻痺の重度障害者として、実際にしぶとく生きています。(弱気ではありますが)
 まだまだ、同じように引退を許されない立場で、頑張っている方もいらっしゃると思いますが、寒さに気を付けてお過ごしください。
 インフルエンザからの肺炎は、片麻痺者にとって、片肺の抵抗力が弱いことも意識する必要があります。

 そう言う私は、正月に帰郷して、法事を行う必要があります。
 今回は、妻の三回忌と父の一周忌、お世話になった叔母の一周忌も葬儀に出れなかった為、墓参りも予定しています。 時期が近い為、まとめて欲張りなものです。
 職安認定日が微妙に重なるため、すぐに引き返さなくてはならないことも過酷な現実です。
 簡単に言っていられるのも、今の内のようにも思えますが、遠方でのぶっつけ本番はどうなるか分かりません。
 冬場の体調はもともと読みづらいく、痛みが出たらすべてがキャンセルです。
 ちなみに、障害者を忘れて、世間体を中心に進ませようとしています。が、自己中心的ものから脱却して往かざる終えません。
 次の世代に精神的な支えになれるよう、せめて邪魔をしないよう協力することです。
 特に高齢者や障害者を身近に世話していない存在に、世間体から攻撃されないように援護も必要です。
 見たくない現実は、無理解な人物の口に上る意見で、憎しみの連鎖を招きかねません。将来が介護に費やされる立場の若者には、多くが深刻です。
 そこで、自分はもとより、亡くなった後の書類などの負担も、考えておく必要性があります。社会的義務として次の世代も逃げられません。
 それほど、負の遺産も税金が大きく生活に影響してきます。無関心で過せる世帯が、法律の改正で少ない相続税でも、申告をしなくてはならないからです。。
 不景気なこの時期は、特に笑えません。
 地方に老化家屋だけを残された場合、固定資産税もちろんのこと、火災保険などを納めなければならないケースが出てきます。
 撤去費用も想定しなくてはなりませんし、かといって財産放棄する判断等は、死亡保険に少量でも入っているケース、預金など、期間内に関係者の見極めが難しいことです。
 将来の相続者に負の遺産として残されるものが、雪だるま式にのしかかる恐ろしい構図です。
 戸主としての情報を最大限共有して、対処できる知恵を得たいと思っていますが、一人では生きて行けないことを現実に認識すべき時期に来ています。ところで、スーパーに行くと食欲がなくなるのは私だけでしょうか。。。
・14_12_02
 体調不良が、しばらく続いています。
 急な寒さについて行けず、こわばりも痛みに変わっています。夜と昼の寒暖の差が広がっているようです。
 今回も急に現れたのは、嚥下障害です。特徴として、食べ物を噛み始めると、喉を締め上げてくる感覚があります。そして、麻痺肩と咽に痛みが集中してきます。デパス対応も効果が弱いので、危機感をともないます。
 麻痺体をほぐすために、定期的にマッサージをしています。呼吸に圧迫感が加わることを避けるために、ずいぶんとお世話になり助かっています。
 そんなある日、終えた帰宅中の出来事です。夕方、車を降りて歩けないほどの痛みが、足の裏から硬直した麻痺ふくらはぎを襲いました。歩道のフェンスに捕まり、しばらく痛みが治まるのを待ちますが、思うように治まりません。
 ここでもデパスを取り出して、緊急の服用をその場の水無し状態で行いました。やはり、いつもの速効性が思ったより出ませんでした。
 娘の肩を借りて、どうにか家までたどり着きましたが、歩行バランスをとる緊張感が、こわばりの負荷として顕著に表れていました。ここまでの状態は、あまり経験がありません。
 肩を借りて急場をしのぐ方法は、手すりの無い階段の登り降りだけではなく、この場合にも有効でした。
 偶然にも、動けなくなった緊急の状態から、容易に移動できる方法を得たようです。それまでの方法は、時間をかけて自力で痛みの治まったわずかなすきまで、休み々対処していました。
 今後、出先で救助要請をする場合でも、このような安易な方法があることで安心感に幅がでます。それほどの痛みが発生していたのです。
 それにしても、スーパーで買い物をして、車で20分、外気が下がりダメージを深めていたと言うことなのでしょうか。ただ、わずかな温度差で痛みのスイッチが入る経験は過去にあります。このような、変化は考えられることのような気はします。
 もう少し観察は必要ですが、この日はマッサージ中の感触に、麻痺の痛みと違う健状体のものに似た感じが現れていました。
 その事も関係しているかも知れませんが、通常の現れ方のものであれば、痛みが表れなくなる可能性も将来有るように思います。 過大に期待しないで観察を続けたいと思います。

追伸:やはり、変化が起きました。麻痺太ももの持ち上げを意識して、職安の認定日に一二、一二の連続歩行を行いました。
 中々、きっかけがつかみづらいのですが、麻痺足のひざ関節部裏側に、折れ曲がりのわずかな感覚が伝わります。それを便りに、持続のポイントとしたのです。
 効果は明くる日に、思わないかたちで現れました。太ももの軽い力での持ち上げを感じていることです。
 真綿に包まれた麻痺足が、軽快に動かせるとしたら、期待は大きく膨らみます。
 その後、観察を続けます。二日ばかり雨が降りましたが、案の定、少し後退感がありましたが、意識歩行できました。
 その後、職安と眼科に徒歩で向かいましたが、テンポを意識して持続可能であることを再確認しました。体調管理が冷たい連続した雨で、どこまで崩れるのか不安でしたが、希望を少しでも感じることがなによりです。
 天気と密接な体調管理を、これ程までに慎重に行わなければならない時期にさしかかっています。あなどれません天候不良!
・14_11_02
 家の中で、珍しく転倒しました。
 日中、眼科、職安と急いで歩き回り、用事を済ませました。調子は、思ったより悪くありません。多少の消化不良と眼圧が高かったことぐらいで、騒ぐことはなかったのです。
 しかし、若干の昼寝をし、娘を車で迎えに行く予定を無事にすませたのですが、オーバーワークだったようです。
 その後、夕飯をすませてネットの閲覧を終えました。普通に立ち上がったのですが、バランスを失い後方に支えるものを探りながら、倒れました。転倒については、その時は何が起きたのか分りにくい状態を過去に経験していますから、冷静に検証したいと思います。
 倒れた後のようすで、麻痺腕がクッションに感じていたことが思い出せます。仰向けで、慌てて飛んできた娘と会話を交わし、ベットとイスの間でどのように自力で起き上がるか思考していました。
 フローリングの床を少しずつ体をよじって、ベットに届くところでよじ登りました。あくる日に、より鮮明に分ってきたのは、歩行で足首に負担をかけすぎていたことです。足の裏に分断した綿を踏み分けたような感触が現れていたことです。
 そこで、かかとの部分に感触がなかったため、バランスを崩す要因になったものだと理解できました。
 通常の感覚がないと言う事が、事故につながるケースとして、認識しなければなりません。
 今回同時に重要な問題は、意識が途切れて起こったものでなく、制御不能を回避しようとしたことが分かったことです。したがって、感謝していることは通常の意識レベルですんでよかったと言うことです。
 頭を強打した記憶がなかったことで、進行中の計画にも支障は出ないと判断しました。とわ言っても、寒さが病的な体の弱体化を感じ始めるので、広げていた訓練の幅を縮めなければならないと思っています。あくまでも、運転の使用にさしつかえる要素が現れたら中止しますが、今のところ、うまくコントロールできています。
 ちなみに、ネットで購入したカーナビと本格的に練習を始めた後、バックモニターカメラを導入しました。
 娘と共同使用のカーナビは、レンタカー時代に味をしめました。しかし、バックカメラモニターは馴れると必要ないと思い、仮設でネット購入で取り付けを行いました。片手で手作り部品を作り、電池電源でカメラを作動、車内配線を仮で使っています。
 バックカメラの威力は絶大なもので、上半身の固定化が健常者の後方確認のように素早くできない悩みを解決してくれます。安心感は想像以上です。もし、自動ブレーキシステムがあれば、安全運転内で走行している障がい者は、過度な緊張感から解放されると感じています。
 長時間運転は、初心者運転の注意力をようする疲労に似ています。それゆえ、操作に歴然としたハンディがあるからで、初心者マークと四つ葉マークの理解がなければ、事故につながりやすいものだと思います。 実践は続きます。
・14_10_05
 駐車場が閉鎖になります。かなりの台数が、近所の駐車場の空きねらいで、戦々恐々としています。
 こんなに早く、右片麻痺の改造車をあきらめなければならない、あやうい状態に気落ちしそうでした。
 車の利用は娘の負担を減らすばかりか、私も駅から離れた場所に適職が見つかった場合、通勤可能となればチャンスが増えるからです。
 そこには近い将来、歩行距離が体力と共に落ちていく、加齢の姿を認めなければならない現実があります。
 妻の通院で必要にかられ購入した無菌車ですが、練習により駅への迎えに行けるようになりました。それ故に、一般の駐車場探しとは、少し違う重い内容を含んでいるのです。
 さて、今までの環境は、駐車スペースがやや広く、おまけにバック駐車が必要有りません。三列中央の停車位置で頭から出て、頭で入ることができました。ビギナーの環境を徒歩距離も含めてそなえていました。
 ちなみに、駐車場の立ち退きまでにしばらく猶予がありましたが、一斉に退去日が知らされたことで、一刻を争うことには変わりありません。予約順待ちが生じている中、退去日に間に合う保証がないからです。
 具体的に、どのような理由で選ぶことが難しいのか、体験するはめになりました。

 まずは悩んでいてもしょうがないと思い、近所を歩いて見ました。
 希望物件をネット検索で探すことが更新不足で難しいことや、どこの不動産屋が取り扱っている物件なのか、容易に調べることが出来ません。
 そこで、近所の駐車場に看板が出ているもの、駐車場らしき場所等、手当たりしだい「録音メモ」で情報を集めました。ちなみに片手で車道を歩きながらのメモ書きは危険です。(後で google マップの写真で確認しながら問い合わせをしました)
 駐車場の候補の主な理由は、まず距離です。歩行距離が通常の人で5分なら、私では10分の範囲です。歩きづらい道では、もっと範囲がかぎられます。
 次に、駐車しにくい場所です。往来の多い交差点の近くや、駐車場中でも幅の狭いドア間隔が取れないところです。
 特に切り返しが容易でない場所では、上半身がほぼ固定している為、何度かバック運転時、確認作業が必要になってきます。
 ちなみに後日手に入れた場所で、加えるべき項目があります。停車位置に傾斜があったり、整地が悪い砂利と雑草なども後で大変です。

 この条件下では、要注意事項が潜んでいます。
 バックギアのアクセル操作で、急発進の違和感が存在することです。マニュアル操作車両の経験がある人は、特にクラッチとアクセルの踏み変え時に、トルクのスッポ抜けを防ぐため、瞬時にペダルを踏み変えます。
 その時、アクセルに過度の力を加えがちで、オートマチックでは急発進してしまいます。何度か、なだらかなトルクの加わるポイントを探る練習が必要です。
 高齢者だけではなく、傾斜などバックギアのアクセル経験のない人は要注意です。テレビのニュースでアクセルとブレーキの踏み間違い報道は珍しくありません。後方確認時、急発進に対応できない状態が少なくないように思います。
 ブレーキペダルの後、トルク不足でアクセル操作→微妙なアクセル踏みができず急発進。動揺を誘い、強いブレーキ。なおさら危険がますので事前に練習を必要とします。
 後期高齢社会の中で、重度障害者の奮闘は、まだまだ続きます。

14_09_11
 右片麻痺のドライバーは、少しさまになってきました。
 レポートを溜め込んでしまうと、どこまでだったか考え込んでしまいます。まあいいか、とそれでも時間に埋没してしまいます。
 夏バテなのか、気力も少々落ち気味に感じています。  そこで、過去に実際やっていた歩行訓練を出かけるついでにやってみました。
 麻痺体が後退する兆候を現し始める時の目安は、駅までの往復をしてみると顕著です。
 後半につらい麻痺足が休憩を要求してきます。以前は耐えられましたが、今回は無理でした。しかも、3回もちょこちょこ歩きでつなぐ悲惨なものです。
 もう一つ困ったことに、少しずつ手の親指が腱鞘炎で痛むようになりました。バネ指です。
 パソコンはなんだかんだで、今も必需品に変わりませんが、まさか親指までコキコキいって痛むのは、正直いって信じられません。在職中の使用頻度とは比較にならないはずだからです。
 ですが、現在テーピィングでかなり復活しています。冷や汗ものです。手遅れになると、日常のあらゆることができなくなってしまうどころか、もう一人付き添いで犠牲にしてしまうことが確実な部位だからです。だるまさん状態の恐怖です。
 さて、毎年思うことに、気温が下がるだけで体調が悪くなる事を思い出しました。今年も基本的には変わらないようです。不愉快なかぎりですが、しばらくは暑い日もあるようです。レキソタン2一錠で間をしのぐことも良しと考えいます。デパスは最後の砦も同じ思いです。
 そんな中で、体調を整えながら運転の練習を続けていますが、動作の安定感は充実してきました。しかし、練習が途切れてしまうと、後退した感がまだぬぐえません。ですが、夏場に娘の迎えに車を使えるようになっていることは、日の入りが遅い好機でした。遊びではない領域で、役に立てることはとても幸せなことです。
 さて、一般道を走ると言うことは、より多くの責任を問われます。速度を出せないからといって、障がい者用電動車も一般道では差別がありません。
 頻繁に追い抜かれている場景を見ると、悪路の操作性は見ていてもはらはらします。不安に感じることは反面、注意力の源でもあります。
 以外に、ブレーキングの操作性がすぐれたひとほど、事故が少ないと聞きます。当然スピードを上げるより、難しいからです。
 ところで、電車通勤で10年近く会社勤めできていたことは、とても幸せなことでしたが、第一の要因だったことは通勤ができたことでした。
 その後も、自宅で作業できる仕事の内容のものは、職安でも相変わらずありません。しかし、同じ通勤路を車で移動可能であれば、まんざら就職もあきらめたものでもなくなります。歩みを止めないで、どこまで可能か自分の新しい側面を見つけ出せるように思います。
 かつて、エスカレーターに目を回し、絶望感に陥ったときです。取り残された麻痺足を蹴りあげて転倒から救ってくださった理学療養士の先生を思い出します。
 その時、練習で取り戻せないものが、ほとんどないことに気付いたことは幸いでした。それとは反対に、社会的制約が生活そのものを壊してしまう今の現状をどのように考えれば良いか悩みはつきません。
 追伸:駐車場が無くなり宅地になります。どうして、こうなるの?またしても試練です。
14_08_19
 ほぼ、あきらめていた自動車の運転をラストチャンスとばかり練習を始めました。
 本格的な車の練習開始にともない、再度装備の点検から始めて見ました。運転の開始より、乗車してポジションに慣れることが重要な分かれ道だと思ったのです。
 右麻痺特殊仕様の車は、長年のゴールド免許をわかばマークに変えてしまう、困難なものに感じていました。
 当初、家内が存命中に娘の運転で通院に同行していました。この時の待ち合い時間を利用して、運転ポジションを決める練習を始めましたが、必要な小物がいくつかあれば可能だと思いました。が、そこまでして運転する意味が見いだせないでいました。
 麻痺した手や足は、痙縮して乗ることさえ拒否されている思いがしていました。目一杯ドアを開け、シートを後方にずらしてようやく座ることができます。そのあげく、ドアに手が届かず閉めることができません。シートを腰を浮かして調節することも容易ではありません。
 すべてにおいて、悲観的でした。
 しかし、そこにはゴールド免許所持者と言うおごりがあります。全く一から練習すると言う気持ちが湧いていなかったのです。
 当然、最初から簡単に乗ることが出来ないことを忘れていました。原付二輪が乗れるからと言っても、自動二輪がすぐ乗りこなせないのは、過去に経験済みだったはずなのに恥ずかしい限りです。
 思い直して、まず情報を集めようとネットを探りました。が、一級一種のほぼ完全な右片麻痺使用の参考事例が見つかりません。リハビリ入院中に作業療法士の先生から、同じ右麻痺者の実演を見せてもらったことで、比較的容易に出来るものと思っていたのです。
 反省して、「一筋縄では行かないと思っていた車の運転にチャレンジする」「筋力の維持」も同時に行う。天候に左右されない加齢自立の道を探っています。
14_08_03
 結局、私たちの地域では、梅雨明けは昨年より、12日遅いものになりました。
 季節感の順番がくるって、体調をくずした方も多かったと耳にします。 私も、歩行練習をひかえたこともあって、麻痺足の筋力が落ちていることに気づいていました。
 午前中は 、なんとか雨に降られないように、行動を起こそうと苦慮しました。気候にばかりに足を引っ張られては、時間を与えてもらっている意味が薄れます。
 そこで、一筋縄では行かないと思っていた車の運転にチャレンジしてみることにしました。
 振り返れば連続して葬儀を終え、ドライブ練習が頓挫するのもしかたのないことでした。
 地方に出かけなければならないことが、余計に車から遠ざけていたのです。
 いつしか運転は、娘に頼りっぱなしにしていました。内心では、気後れすることが日常的になろうとしています。
 しかし、本当に不可能なことだろうかと思い直しました。とにかく、走り出すことは二の次で運転席についてみました。「右片麻痺のドライバー」で報告開始をしたいと思います。
14_07_17
 本格的な夏だと思ってしまう陽気です。6月後半とは思えません。…と思っていたのにその後、派手に天気は乱高下していきます。
 感覚が1ヶ月狂って感じるのは、一時的な豪雨を午後過ぎた頃から気にしなければならないことです。
 7月になったばかりでは、50年に一度の豪雨も長崎で言われています。3時間で270_とバケツをひっくり返した雨が連続する状態を想像できます。
 モタモタ記録をしていると、台風8号がやって来ます。巨大で想像できないモンスターに怯えています。(結局、後半は予定ルート進行し、騒いだわりにはおとなしく通り過ぎました)脱法ハーブ無差別交通事故等、2014年7月初旬は、不安材料が盛りだくさんです。
 しかし、良いこともまるっきりないわけではありません。その一つに、電車の新型車両が私たちに恩恵を与えてくれました。
 シートの両側にあった捕まり棒が、長い席を分断する形でもう一本追加されたのです。このおかげで、つかまり立ちが席の中央でも可能になりました。ありがたいことです。
 なぜかと言うと、一度で反動を付けて立ち上がるには、力加減のコントロールが難しいことです。入り口に移動している人を無視すれば、ぶつかる危険性もあります。学生の床においた荷物も強敵です。親切に中程で席を譲ってくだっさった方に、丁重な断りを言う必要も生じます。入り口にかたまった人をさけ、奥に進まなければならない時の捕まり棒が、いかにありがたいものか解っていただけると思います。
 良いことは、他にもあります。
 電車・バスの運賃、飲食代、買い代等、Suicaの電子マネーの使用範囲が広がって来たのです。他の電子マネーをあわせ持つことで、日常で手放せない物になっています。
 特にレシートとお釣りを一度に手渡しされることで、落としてしまう危険性があります。しゃがむことが困難な私は、あきらめなければならないことがあります。それが、ワンタッチで済むことで店に入りやすくしてくれました。
 ところで、歩行で補う体力作りが、このところ麻痺足の痛みによる中断が起こっています。
 観察していますが、原因が今のところ良くわかりません。麻痺足を地面に着けると痛みがひどいので、自宅の中で、補装具を外して歩く感じをつかもうとしています。
 安定剤をはさむと足の裏のひきつりが治まる感じが露骨で、薬の使用を強請されている敗北感が否めません。
 もう少し説明すると、痛みが出ないようにそっとかかとをかばう動作でもダメで、しばらくして嘘のように消えて行く、くやしいものです。この痛みは、車道の端の傾斜に身を避ける時にも、似たような痛みに変わります。
 わずかな緊張でも起こってしまうので、おそらく疲れが出ての緊張の度合いが、無意識に起こさせているように思います。しばらくは、身動き出来ない重度な痛みです。
 さて、健常側の深い肩こりの痛みと、麻痺側のこむらがえり、つりの足の裏から来る痛み、締め付ける腕から肩と自分では対処できない状態がうかがえます。安定剤の使用を控える生活が、限界になったかたちです。
 マッサージは、一気に解決する方法で行きつけの信頼がおけるベテランに任せます。今回のひどい状態を見抜ぬいて、バランスを意識してほぐしてくれました。麻痺体にくわしくない若手の方にお願いしたときには、部分的に健常者のこりを意識しているためかバランスが壊れます。片寄りが筋肉を作る能力を欠いた麻痺体に影響をあたえ、こわばりだけが強くなって行きます。
 ところが、麻痺体を知っている方は、腰、健常足、健常腕、麻痺足、麻痺腕等のこりの状態を見定めてほぐしてくるので麻痺体に加わった力を想像できます。なぜならば、麻痺体は通常の感覚がないため構えてしまいます。少しの刺激でも強い痛みとして感じてしまうため、健常体での力具合を読むことでほぐすバランスを得ることができます。
 今回の経験は、一定の体調を管理していくことが、困難な状態になりつつあるように感じています。が、離職したために筋力が落ちていることも事実です。巻き返しを試みていきたいと思います。
14_06_21
 微妙な歩行の変化は、クーラーを使用しなくても大丈夫なこの時期に始めました。安定剤の使用を控えても、痛みに耐えることが可能になっているようで絶好のチャンスだと感じています。
 約2週間を過ぎたあたりから思考力のねばりが増したように思います。しかし、一つ懸念材料がありました。
 それは、1ヶ月も予約をオーバーしていた歯科検診です。歯科検診は一時的に過度な緊張が心配なので、デパス錠を頓服使用しました。再度使用を始めると、残量感が増して不快な状態になりやすいことです。下の歯検診時1錠、また1週間後上の歯で1錠、この時以外は強度のリバウンド感もなく、従来の使用感に近づいた感じでした。
 ところで、外出することは社会生活に切り込んで行くことであり、非常に負担を強いるものです。これがなければ、安定剤の使用は必要のないものと認識できるレベルに収まっています。1日1回のデパス錠が必要でなくなったことで、10年電車通勤就労に安定剤が役立っていたかがわかります。
 もちろん、年間通じてのことですので、夏場だけでも使用禁止を設定していたことは自分の体の状態を把握する意味で大事なことだったように思います。
 歯科検診は診察台上で口をゆすぐ動作が必要です。麻痺体の固まり具合が非常にわかりやすいので、自分の変化を認識できます。口をゆすぐコップにたまった水をこぼさないで、排出口まで顔を運ぶことが、気合いを必要とするものです。寝起きと同じく、利き腕で麻痺手をひっぱり起こす動作は毎回苦労します。体の緊張を除く必要に迫られ、デパス錠の出番となるのです。
 このように歯科定期メンテナンスの二日を除いて、四週間安定剤抜きにチャレンジできています。リバウンドを避けるため、極力頭脳労働を避け、掃除、飲食の準備で気をそらせることに努めています。
 ちなみに、気圧の変化や寒暖の差によるものも含め、体調不良などでも同じく過度な緊張が現れます。このような場合は、大切な時間を逃さない為に頓服使用の安定剤はたのもしい味方です。医師の処方目的に頓服使用のもは、特に薬に飲まれないようにすることが大切です。効果が大きい薬は、自己管理しにくいものだからです。
 ところで、今のところ身の回りは自分でしていまが、洗濯、食器洗いは、出来ていません。自分でコーヒーを入れたり、ご飯など準備された物を冷蔵庫から出して好きにしています。そして、電気ガマからご飯をついだり、粉状のスポーツドリンクを浄水で作ったりもしています。スピードは遅いのですが、集中力を保持するには効果があります。
 さて、6月に入って記録的な夏日連続を経験しています。汗をあまりかかないことが気になっていますが、水分はまめに補給しています。光化学スモッグの注意報が出ていたこともこの時期驚きですが、温度差が有りすぎることも気になることです。中旬は梅雨で、各地に豪雨、風の言葉を聞かない年がなくなって行くようです。一時に何ヵ月分の雨量を伝えるものです。
 外出の時には、要注意です。6月後半は、いろんな生活データの分散を整理しています。必要最低限で共有できることが身をまもることにつながるからです。自分はボケないと思い違いしないためにも、確実にしておかなければならないことは多いのです。がんばります。
14_05_28
 5月の連休前:まともな雨量で花粉も感じなくなっています。体の動きも良くなり、歩行中に汗をはじめて少しかいています。眼科の帰りに、いよいよ本格的に薬を抜くことができると思っています。(ところが、そんな調子が一変しました)
 あくる日の朝食で派手に食べ物ののみ込みに失敗してしまいました。天気も体調もそこそこに感じていたところに油断していました。気管に入ってしまい、しばらくもがきました。
 この時、一気にのこわばりが進みました。せきの合間に痙縮の腕をなだめることで治めようとしましたが、せき込みが断続的に押し寄せおさまる気配がありません。棚からデパス錠を取りだし、しばらくしてなんとか落ち着きました。
 この時、意外と気管の奥深く食べ物が入ったらしく、夕方になっても麻痺のど奥が痛むようです。気管の残留物が残っているかどうかは、しばらくはっきりしません。3日位たってもせきが気管の片側だけに現れるので、比較的ダメージの大きさがわかりより注意の必要性を感じました。肺炎を恐れるからです。
 何度か経験していますが、加齢による体調の変化と環境の変化において精神的、神経的な変化は一様でないことも認識しなければならないと思いました。
 話は変わって、以外に1日の気圧と温度さは、見た目の日差しにだまされやすいと感じています。しばらくして散髪屋に出掛けた折り、「朝晩の気温が例年に比べると低いので、調子が良くない」と店主も感じていたようです。「足の先から冷えてくるので」と言うセリフがピリピリ痛いで置き換えれば納得です。
 意外と片麻痺の通常感覚を失なった体では、気温の変化は分かりにくいことを理解されていません。特にピリピリ感が強い日はなおさらです。
 又、話は変わって、一般に消費税が上がり給料はそれほど多くなく、うるおうところまでには実感がないのが正直なところでしょう。しかし、マスコミは妙に静かです。
 富裕層の目線で物事を論じていると、荒廃して行く底辺層にしっぺ返しを食らうのが世の常です。 高度な社会になれば、少ない人数で被害を甚大なものにできてしまうことも肝にすえないと行けません。
 ガソリン代も120円をこえるときには、死活問題で車にのれないと言われていたのに、165円をこえてもあまり騒ぎません。
 身近な話題で私たちに街では障碍者にガソリン券か、タクシー券かを支給されています。そのうちのガソリン券は一回2枚(2000円)まで使用できました。
 私は葬儀のため地方に行かなければならなっかたり、雪の日が多く駐車場に閉じ込められ、ガソリン券の使用期限内に使えないまま涙をのみました。
 今年度から、1日の枚数使用量限定が撤廃されました。高騰したガソリンを2000円分給油しても量がすくなく、合理的と言えない状態になってきたからでしょう。大切な支給物なのですが、使いやすいことが前提で考えられたことに感謝したいと思います。
 さて、経済的にきびしいところはますますきびしくなっているのは確実です。真夏に蒸し焼きになることが現実味を帯びています。貧富の差が生死を別ける怖い時代になってきているようで、「おもてなし」の頃には、「ろくでなし」のヤジが街にあふれないよう祈ります。
14_05_01
 4月の中旬で、ウィルス感染の鳥、豚の大量処分のニュースがありました。感染地区の拡大を押さえ込めるか、徹夜での作業に畜産農家の人たちは懸命に封じ込めたようです。解除は5月初旬で検査まちです。TTPの問題もあるので、壊滅にまで追いやられることを含めて、祈る思いで見守っています。
 以前の警戒時期をずらした内容は、大きな不安材料が増えたことを感じさせます。食の問題は飢餓の様相を見ることになる怖い問題です。きらびやかなぜいたく品も、おにぎり1つにかなわない戦後を思わせるからです。
 そんな折りです。歩行の調子が改善の兆しがあり、麻痺足のガニマタからウチマタを意識した歩きで歩行することが可能になってきました。
 ひざ曲げを意識でき、骨盤全体を足の運びに利用できるようになってきました。腹筋に力を入れる感覚が現れ、入れると麻痺側の骨盤が下に降りて歩行が安定したポイントに近づくようです。それにより、疲労感が少なくなって耐久時間も延びています。
 ちなみに自転車走行で言うならば、スピードを落としすぎると倒れてしまいます。同じように、遅いスピードでも倒れないで歩行持続できることは、散歩らしい余裕を得られるものです。
 改めて、麻痺側の下腹に意識を集中させて歩くと、麻痺足のかかとが地面に降りて安定した感じがするのはなんとも不思議な感じです。内股にひざを集める感じは、麻痺側が起立して 行く感じがするのも不思議です。 ちなみに、歩行ペースも短い立ち上がり時間でペースを得られます。
 デメリットもあります。
 安定ポジションは、比較的健常足のひざにダメージを与えないものですが、スピードが乗るのか変な関節の痛みがしています。 このポジションが定着すると、スピードが増し本格的な転倒の可能性が出てくると言うことです。
 しかし、思考の持続力が頓服薬不使用で伸ばせると良いのですが、気候と同じで安定しません。麻痺腕、肩の痙縮(けいしゅく)と胸の締め付けがなんとも厄介です。寒気、ピリピリ感、燃える痛みのトッピングで不快な時間が多くなりました。
 ところが、良くなる変化もまだ現れていますので、期待はすてられません。各方面の総合的な回復の情報に定説は無いとまだ思っています。1つ、医学の進歩、変化が加わると、今までのリハビリが役に立つこともあるからです。

14_04_07
 過ごしやすくなってきましたが、午前中は動きが鈍いので意識は時間の中に埋もれて行く感じがします。
 夕方近く、本当にこのままで1日もったいなく終わって良いのか?、自分に葛藤がおこります。
 安定剤から抜け出せるチャンスかもしれません。何度か通り抜けた時の感じなので、自然に受け止めようと思います。頓服使用が麻痺体の痛みの制御だからです。
 そこで、リハビリの一環でいつもの100円マックで思い付いたことを記録し、自分の感性が戻ってくることを期待しています。
 作業場である近所のマックは、4月の消費税に耐え、5月には値上がると店員に聞きました。4月1日(現在)
 私は、小麦粉を少しずつ目にまぶされるように花粉の攻撃にも耐え、鼻水も今日は鼻炎シュッシュとクリームを鼻に仕込ませて効果をみています。
 毎年、4月は本格的にリハビリ環境を整えて行こうと試みそして、期待外れの五月病にはばまれるのが常です。生かしてもらっている実感を味わう余裕は、天候と体力の維持回復にかかっています。
 ところで、一月500円前後でネットにつながる環境に驚いていますが、空港では無料で接続を解放するブースなどサービスも広がりを見せて行きそうです。
 上記のやり方で、精神的に持ちこたえてきたのはネットの中にある知識です。
 勉強する材料がめじろ押しです。気力がなえて、歩みを止めてしまうと取り戻せなくなります。
 気分転換などその事事態が加齢と共に難しくなってきます。老齢の自立を目指して、見つめ直す時期だと思いますが、はたしてどうなることか。
 追伸
眼科へ行きました。いつものように開店前で並び、事前に視力の検査を行います。そして、診察をすませ、薬局でくすりを受け取り2時間40分の行程です。
 通常薬のノートを持って行かないで、家に帰ってシールを貼るのですが、この日は執ように目の前で張らされました。
 前から複数のくすりを別々のノートに毎回張ることが困難になっていました。一覧表にしてリストを持ち歩くようにしています。
 病院で大腸検査を行ったとき、看護師さんにこの一覧に感謝されました。緊急時の麻酔のチェックに利用したようです。
 薬局ごとの管理のために、無理やりノートにシールを貼らされるのです。この4月から増税にあわせ、義務ずけていることに憤慨しました。すぐにいっぱいになるノートを複数持ち歩き、レジ袋に放り込まれるだけのメリットの感じられない中途半端なものです。
 使用方法も医師のたび重なる内容です。高齢、片麻痺者には統合された医療カードの管理を将来希望したいものです。
 ご都合管理になるくらいなら、自分で管理できる者には選択する自由を認めるのが基本であろうと思います。持ちきれない!